きたれ、バウハウス展 [展覧会(絵以外)]
開校された工芸、デザイン、写真、絵画、建築などの総合的な造形教育を行う学校。
ドイツ語でBAU=建築、HAUS=家、つまり建築の家という意味で、造形活動の最終目的は建築である
という理念のもとに設立された。
1925年にデッサウに移転。グロピウス設計の校舎は、モダニズムの代表的建物として、ユネスコの
世界遺産に登録された。1933年に閉校したが、その理念は世界中の先進的な学校に影響を与えた。
<展覧会の図録>の表紙は、バウハウスなので建物の枠組の模型。
「きたれ、バウハウス」なので、当時、どんな授業が行われていたのか、
授業内容が展示されている。
教授陣がすごい。カンディンスキー、パウル・クレー、ヨハネス・イッテン、
モホイ=ナジ、ジョセフ・アルバースなど。
1、基礎教育
素晴らしい教授陣による最初に受ける基礎教育の内容がユニークだった。
カンディンスキーの授業の再現は、部屋の隅に積み上げた机、椅子、ハンガー、
自転車などが組み合わさった様子を、を円、四角、直線、などの基本的形態で表す。
見る角度によって形は変化して見えるから、どうやって表すのだろう、、と
考えていたら、当時の学生の描いたものが数点。これが実にいろいろで面白かった。
見たままに近いものから、幾何学的構成で均整がとれている高度なものまで様々。
イッテンは裸体デッサン演習。モホイ=ナジは様々な材料を組み合わせてバランス
の構成を組み立てる、紙だけでの構成、様々な重さの木での構成など。
アルバースの授業は、紙を「切る、折る、曲げる」で形を作るというもの。
どれも学生の作品が展示されているので、わかりやすい。
2、工房教育(専門教育)
基礎教育が終了すると、家具、金属、陶器、織物、壁画、彫刻、印刷・広告、版画、舞台工房、建築
の専門教育を受ける。
家具工房では、グロピウスの指導の下、マルセル・ブロイヤーが育った。
素材としては、木を使うことになっていたが、家具工房を任されたブロイヤーは、
自転車のフレームにヒントを得て、金属パイプを使った画期的な椅子を作った。
さらに機能性を追求し、ネスト・テーブルも作成した。
金属工房では、半円、球体などを組み合わせたシンプルな造形の工場生産のものを
生み出した。
陶器工房では、手工芸という伝統的性格があり、工場生産は難しいかと思われたが、
大量生産のための原型モデルを作った。
織物工房は、基礎教育で学んだ色彩、形態などを活かす作品制作で、女性の活躍の
場であった。色鮮やかで、今、見ても斬新な作品が多かった。
建築工房の作品展示は少なかった。
3、1923年の展覧会
1923年に、バウハウスの教育の成果を世に問う展覧会が開催された。
バレエの舞台や現代音楽のコンサートなどのイベントも行われ、世界的に
バウハウスを知らしめる重要な展覧会となった。
そのポスターである。
4、日本人留学生
当時のバウハウスに留学した日本人は4名。
建築の水谷武彦、山脇巌、織物の山脇道子、大野玉枝である。
彼らの作品と資料も展示されていた。
5、閉鎖
バウハウスは、1933年にナチにより閉鎖された。14年間の短い期間だった。
場所が東京駅で、専門家でなくても楽しめる展覧会だと思うが、予約入場なので、
敷居が高いのか、仕事関連の人や学生が多かった。新潟、西宮、高松、静岡と巡回し、
東京が最後の展覧会。私は招待券入場だった。