ラ・ロッシュ邸(パリ・コルビュジエ設計) [旅行(ヨーロッパ)]
私も興味はあったが、同行の友は建築好きで詳しい。
パリの高級住宅地16区にあるので、タクシーでいきなりその前に乗りつけるより、
近所を散歩して家々を眺めたほうがいいだろうと思いメトロに乗った。
外に出たところに赤い建物の酒屋チェーン「ニコラ」があったので、道をきいた。
地図で下調べはしてあったけど、反対方向に歩いてもいけないから確認。
折悪しく雨だったので傘をさしていると、アイフォンの地図は見にくい。
6~7分歩いて、入口の看板を見つけ、矢印通りに突き当りへ進む。
まさしく、これ。
邸宅内は8ユーロ(1000円)で見学ができる。「靴を脱いで、このスリッパに履き替えて。
家が汚れないように」。「さ、案内するわ」と先に立って、部屋へ通してくれる。
私たちの他にはだれもいない。
「ロシュ氏は、美術収集が趣味だったので、作品を飾れるような設計になっているのよ。
この部屋はサロンで、お客様はここで絵を眺めたの。今、かかってる絵はロシュ氏の
コレクションではなくて、コルビュジエの描いたものだけど。左にある茶色のソファーも
コルビュジエのデザインなの。他の部屋の椅子、テーブルもコルビュジエのデザインよ」
と、丁寧に説明してくれた。吹き抜けなので天井が高く広い空間。
この建物の特長とも言える曲線のスロープ。窓も曲線になっていて美しい。
スロープで一階へ降りる。降りる途中で、仕切られた2階の部屋が見え、間取りも工夫されていると
わかる。
コルビュジエはこの周囲の建物群のどこかに住んでいたそうだ。
「ルシネマ」で見た。これを見た後で、ラ・ロッシュ邸に行ったから、壁にかかっている
大きな絵が、コルビュジエの描いた絵とすぐわかった。そして、コルビュジエがアイリーン
の留守に無断で「別荘E1027」に入り壁に大胆に絵を描く映画の場面を思い出した。
アイリーンは新進気鋭の人気家具デザイナーで建築家。この落書き事件が原因で二人は
会わなくなる。この後、世界大戦があったりで、「別荘E1027]は傷み、競売にかけられた。
競り落としたのは、な、なんと、コルビュジエだった。
コルビュジエのものとなった「別荘E1027」は、長らく彼の設計と思われてきたが、
実はアイリーンの設計だったのである。
建築設計もしていた。コルビュジエと恋人どうしではない。コルビュジエは、
アイリーンの才能に嫉妬し、奇行に走ったのだろう。
このチラシにもあるように、コルビュジエがデザインした椅子、アイリーンがデザインした椅子が
出てくる。コルビュジエは、作品はすばらしいが、家ではいつもパンツ一丁だったり(実際は
それ以下とのこと)と、かなり変な人である。
アイリーン役は、オーラ・ブラディ
監督:メアリー・マクガギアン
パリ 2017年12月 [旅行(ヨーロッパ)]
モン・サン=ミシェル [旅行(ヨーロッパ)]
2015年12月21日
羽田発13:45のエールフランス機、搭乗時間を遅らせるほどにガラ空きだった。
ビジネスクラスは、食事が良いので、うれしい。
まず、小さなスプーンに載ったアミューズが出て来て、左下の前菜。
メインは牛ヒレステーキ。チーズが2種類でてから、デザート。
デザートには、ラデュレのマカロン(ローズ色)もついていた。
12時間半のフライトで8時間時差のあるパリに18:25着。同行はM子さん。
ホテルにチェックインの後、近所で簡単なご飯を食べる所を探した。
物騒な時期なので、あまり、ふらふらせず、目についた安全そうなイタリアンの店
で、ピザとサラダの夜食。
翌々日、M子さん憧れのモン・サン・ミシェルに行った。
ホテルで予約してもらった日帰りバスツァー(160ユーロ)を使った。
モン・サン=ミシェルはフランスの西海岸。パリからは370kmにある巡礼地で、
海に浮かぶ小島に修道院がある。
この辺りは潮の満ち引きが激しいので、昔は、満潮時には島へ渡れなかった。
多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたそうだ。その後、堤防が作られ、
いつでも行けるようになったのだが、潮の流れを堰き止めたため、陸地とほとんど、
つながってしまった。そのため堤防を壊し、環境を守るため新しく、橋が作られた。
私が20年位前に行った時は、道路事情が悪く、日帰りが出来なかったので、
途中ノルマンディで1泊した。
日帰りといえど、出発7時15分(集合6時45分)で、解散は夜9時半。
この時期、パリは8時半まで暗いので、バスが走っていると夜が明けて来て、
朝日が綺麗だった。
こんな朝もやの中を途中休憩を入れて3時間半ほど走ると、見えてきた!
バスからは橋の中ほどで降りて歩く。
ここが島の入口。
一年に何回かあるという満潮時には、ここに停まっている車は水に浸かってしまうので、
島の高台に避難するのだろうか。フランスの国旗がはためいていた。
ここでの名物は、オムレツ。
プラールおばさん」(la Mère Poulard)のオムレツが有名。
昔は、巡礼者たちが泊まった宿屋で、肉や魚がないから、卵料理でもてなしたそう。
今でも宿屋(ホテル)をしているので、写真右側に「H」の看板が見える。
ここのオムレツは値段が高いときいていたが、メニューを見たら38ユーロ。
5000円!(左下の写真)。オムレツは卵をよーく泡立てて作るのが特長。
プレーンはつまらないので、マッシュポテトとベーコンのを頼んだ。中に入ってる
のではなく、マッシュポテトとベーコンが添えられていた。
島なので、魚中心に頼んだ。一皿ずつ頼み、シェアした。
右下の写真は、ズズキのムニエル。43ユーロ。6000円近い。
上左は海老唐揚げ入りサラダ。右は食卓のパン入れが小さくて可愛いので撮った
写真。
壁には、このレストランを訪れたいろいろな人たちの写真が貼ってあった。
「あ、見覚えが」と思ったら、三笠宮殿下ご夫妻。とてもお若かった。
食後にいよいよ修道院へ。まずは礼拝堂。
守護神のサン・ミシェルの立像。
モン・サン=ミシェルとは、聖ミカエルの山の意味。
708年にフランスの大司教の夢に聖ミカエルが現れて、「この地に礼拝堂を
建てよ」とお告げがあったので、建築工事が始まった。
その後、増改築が何度もあり、いろいろな様式が混じった建物になっている。
ケーブルカーはないので、ひたすら階段を上がる。
修道院の入口に着いた。
中庭は、回廊がある中世風。ゴシック様式でとても美しい。
修道院の中は、太い柱で天井が高く、だだっ広い。
牢獄として使われたこともあるそうだ。
行きは階段だったが、帰りは坂道。建物の大きさ(高さ)がわかりますよね。
前に来たときに展示してあったか覚えがないが、今回、驚いたのは、大滑車。
(写真の白い部分)
これで、下から荷物を上げ下げしていたのだそう。橋から滑り台のように見えたのは、
この滑車の通り道だったのだとわかった。建築資材もこれで運んだのだろうか?
8世紀に、これを建てたということは、驚異的。信仰の力なのだろう。
<追記>
コメント欄でInatimyさんが美味しいとおっしゃっていた「ラ・メール・プラール」La Mere Poulardのサブレの
写真を載せておきます。モノプリなどのパリの大きなスーパーで買えるので。
ついでに、パリで流行中の紅茶「クスミティー」の写真も。前からデパートに入っていたのですが、
シャンゼリゼにお店ができました。マリアージュ・フレールは少し人気が落ちたようです。
パリ観光2013年春 [旅行(ヨーロッパ)]
今回は、JALの「ビジネス便で行くパリ」というパック旅行で泊まるホテルは、
いくつかから選ぶようになっていた。ルグランは2回泊まったことがあるので、
同じオペラ界隈の「スクリブ」にした。
ルグランに比べると、地味なロビーだが落ち着いて家庭的。
「行きたいのは、サントノーレ、シャンゼリゼ、パッサージュ、ノートルダム大聖堂、
サンジェルマン・デプレ、ルーヴルにオルセー」、これが友達の希望。
ショッピング街は朝は遅いから、まずはノートルダムでしょ、と出かけた。
ノートル・ダム大聖堂は、ゴシック様式を代表する建築で、200年かかって
1345年に完成した。その大きさたるものは、上の写真からもわかりますよね。
巨大なスクリーンがあり、これを見るための椅子席が高い所に作られていた。
新しいローマ法王フランシスコがメッセージを読み上げているところが写ったり
していた。臨時のスクリーンか常設なのかは不明。
聖堂正面のバラ窓の美しさは定評があるが、写真がボケボケ。
「日本語!日本人だけがうるさいの?」と、この看板をじっと見ていたら、
他の言語に変わった。数秒ごとに違う画面になる。おもての巨大スクリーンと
あわせて、ノートル・ダムもコンピュータを取り入れている時代。
「ここは入場料ないのね」と友達が言う。基本、聖堂は無料。
歩いて、サンジェルマン・デプレへ行き、友達の希望のカフェ「ドゥ・マゴ」でお茶。
歩き疲れたから、教会は外から見るだけで十分というので、タクシーでシャンゼリゼに
行った。ランチは、カフェ「ラデュレ」で。デザートにとったケーキには、バラの花びらが
のっていた。
こんな小道にブティックがあったりした。
花壇がきれい。オペラにもなった椿姫がつけていたという「白い椿」があった。
「こういうおしゃれな所、パリらしくていいわ。次、パッサージュに行きましょ」
と期待して行ったら、閉店のお店ばかりのさびれたパッサージュ。では、別の
パッサージュへと行ってみたら、そこもさびれていた。「雑誌にのってるのは
いい部分だけだったのね」と、友達はがっくり。
でも、エルメス本店でお買い物をして、元気になった。
向こうにコンコルド広場が見えるパリらしい景色。
ホテルの入口隣の紅茶専門店がとってもいい香りなので、お茶はホテルでする
ことにした。きゅうすのようなポット。蘭の香りの紅茶を頼んだが、ほっとする
オリエンタルな香りだった。カヌレがついてきた。
フォンテーヌブロー城 [旅行(ヨーロッパ)]
「パリに6泊もするんだから、ロワールにお城を見に行きたいわ」と、同行のMが言う。
「ロワールのお城は点在してるから、車がないと無理よ。バスツァーに参加するといいわ。
ひとりで大丈夫よ」「え~っ、ひとりじゃ。。」
というわけで、パリから簡単に行けそうなお城を探した。
フォンテーヌブロー城ならパリから列車で50分。駅前からバスで15分。
(城の日本語版パンフの表記は、フォンテンブロー)
パリ6泊は連日雨で寒かった。もちろんこの日も。
雨の中の写真。石畳が濡れているし、人がほとんどいない。友達はフード
つきの毛皮コートでよかったと言っていた。
フォンテーヌブロー城は、12世紀に王の狩猟用の森の傍らに建てられた城。
広大な森、フォンテーヌブローは散策に良いらしいが、この寒さと雨では。。
城は16世紀に、フランソワ1世が堂々としたルネッサンス様式に再建し、
世界遺産となっている。
森を背景とした池に建てられたお茶用の東屋。
中央に噴水つきの池がある広い中庭。幾何学的なフランス式庭園。
フランソワ1世が造らせたイタリア様式の黄金の門。
門の下段アーチ両袖にある白い像は、フランソワ1世。
城の中も見学ができる。
豪華なフランソワの回廊は、天井面の装飾、壁面の装飾、シャンデリア、壁画
や絵の華麗な空間。見学者はみんな写真を撮っていた。
歴代の王は、ここを別荘として使った。マリー・アントワネットの夫君、ルイ16世は
無類の狩り好きだったので、ここでの滞在が長かった。マリー・アントワネットが
自分の好みで作らせたサロン。女らしい優雅な部屋。壁にはウェッジウッドの
ジャスパーもはめ込まれている。
イタリアからフランスに嫁いできたマリー・ド・メディシス(アンリ4世の妻)の寝台。
以後、歴代の女王が使用した。もちろんマリー・アントワネットも。
フランス革命後、皇帝となったナポレオンは、ここを大変気に入り、滞在することが
多かったので、謁見の間が設けられた。中央はナポレオンの椅子。
金ピカの部屋で、天井の装飾、床の絨毯も華麗。
外にい出ると、雨が上がって青空が見えたので、写真を撮ったがほんの束の間。
再び雨になった。
ナポレオンの作った正面の門を出て、フォンテーヌブロー城を後にした。
雨なので森の散策はあきらめ、タクシーで、シスレーが絵を描いた場所モレ、
黒田清輝が絵を描いた場所グレを見に行った。それは次の記事で。
イタリア旅行(5)フィレンツェ [旅行(ヨーロッパ)]
昨年夏のイタリア旅行の最終回フィレンツェ編、友達から「まだなの?」と
言われ、ようやく、です。
フィレンツェの中心は、ドゥオーモ(大聖堂)。写真がなかったので、これは絵葉書。
フィレンツェはそれほど大きな街でないので、歩いてまわれた。
ドゥオーモの少し先が、ヴェッキオ宮殿でアルノ川に面している。
アルノ川にかかる橋、ポンテ・ヴェッキオは中世からの古い橋で、橋の上には
金細工の店が何軒も並んでいる。
↓写真でも見えるが、橋の2階部分は、ヴェッキオ宮とピッティ宮と結ぶ回廊で、
美術館になっている。(ヴァザーリの回廊)
ピッティ宮は、力強いファサードの壮大な宮殿。
16世紀にメディチ家のコジモ1世がピッティ家から買い取り、大改装を行った。
現在は美術館や庭園になっている。
泊まったホテルは、アルノ川沿いの「ルンガルノ」。さほど大きくなくて家庭的な雰囲気。
モダンなインテリア。「夕ご飯はどこで食べる?」と探して歩き、結局、ホテルの斜め前の店
になったが美味しかった。機嫌よく帰って来たら、ロビーで宴会中。「Oh,Welcome Japanese」
と迎えられ、今日は誕生日だからという英国人のオジサンが、シャンパン・モエを開けて
くれて、もう一度乾杯。いろいろな国からの宿泊客総勢8名。自己紹介をすると新婚で、
夫ベルギー妻韓国とか、アメリカ男、フランス男など様々な国籍。皆旅行者なので、
イタリアでどこが楽しかったかが、主な話題だった。こんなふうに宿泊客どうしで楽しく
過ごせるのは小さなホテルの良さだと思う。
朝ごはんは果物が美味しかった。ティーバッグが面白い形。
数年前銀座マツヤで、建築家&デザイナーが各自小さいブースを持ち、自分の
好きなものを展示するという企画展があった。その時、某有名建築家のブースに
このティーバッグが展示されていて、「アルノ川の見えるホテルで、朝ごはんの時、
出てきたティーバッグ。木をイメージしていて、、」四角錐という形もユニーク。
右は包装がついていて、左は外した状態。
私はフィレンツェは2度目だが、前回はツァーだったので、ウフィッツィ美術館は、
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」を見ただけだった。(下の写真)
チケットを買うのにかなり並ぶときいたので、日本からネットで予約をしておいた。
ルネッサンスの有名な絵がたくさん、、、。興奮してしまうほど。
ダ・ヴィンチの「受胎告知」(2007年に国立博物館で展覧会があった)は、
ダ・ヴィンチ20代のデビュー作品。若いマリアの驚いた表情、左手に百合の花
を持った大天使ガブリエル、「お知らせを持って駆けつけました」という様子、
臨場感ある場面に惹きつけられた。背景のトスカーナの糸杉が澄んだ空気を
感じさせていた。
8時半に入場したので、館内はすいていて、この絵の前には私と友達だけ。
ゆっくりと見れた。
ダ・ヴィンチより30年遅く1483年にフィレンツェ生まれたラファエロ。
20代の自画像(右の写真)は、明日から東京上野の西洋美術館で開催される
「ラファエロ展」に来る。
下の段左は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵夫妻の肖像画」(1470)
肖像画に描かれたウルビーノ公フェデリーコの時代、宮廷は栄え、ラファエロの父も
文人として活躍した。フェデリーコの息子がティツィアーノに注文して描かせたのが
「ウルビーノのヴィーナス」である。ウフィッツィ美術館にはこういう有名な絵がずらっと
並んでいる。
以上で、2012年夏イタリアの旅の記録は終わりです。
また行けるといいなぁ。。。