ハマスホイとデンマーク絵画展 [展覧会(西洋画)]
「ハマスホイとデンマーク絵画展」は、1月21日から3月26日まで東京都美術館で開催
予定だったが、コロナウィルスの感染防止拡大のため、期日前に閉幕してしまった。
4月7日からは、山口県立美術館で開催される。
閉幕前、20時まで開場という日に行っておいてよかった。
予定だったが、コロナウィルスの感染防止拡大のため、期日前に閉幕してしまった。
4月7日からは、山口県立美術館で開催される。
閉幕前、20時まで開場という日に行っておいてよかった。
「ちらし」やポスターに使われているのは、この絵。
静けさが伝わってきますか?
絵の具も薄塗りのなので、さらっと日常を切り取った感じ。
モデルは妻、棚の上の食器は、ロイヤル・コペンハーゲンのもの。
「背を向けた若い女性のいる室内」1903年
静けさが伝わってきますか?
絵の具も薄塗りのなので、さらっと日常を切り取った感じ。
モデルは妻、棚の上の食器は、ロイヤル・コペンハーゲンのもの。
「背を向けた若い女性のいる室内」1903年
ハマスホイの展覧会は、これが初めてではない。
2008年に西洋西洋美術館で開催され、その時は、ハンマースホイだったが、
最近、名前はその国の言語に近い表記をするので、ハマスホイに変わった。
なんと2008年のときも同じく、この絵がチラシに使われていた。
2008年に西洋西洋美術館で開催され、その時は、ハンマースホイだったが、
最近、名前はその国の言語に近い表記をするので、ハマスホイに変わった。
なんと2008年のときも同じく、この絵がチラシに使われていた。
2008年展は衝撃的だった。初めて見るハマスホイの作品だったが、自宅の
誰もいない室内ばかり。時々、人がいても後ろ姿ばかり。静寂も当然なのだが、
そこに抒情があり、詩情があるので、惹きつけられた。
行く前には、ハンマースホイという名前が覚えられなくて、何回も間違え、
友達にあきれられたが、帰りには、好きな画家として記憶できた。
誰もいない室内ばかり。時々、人がいても後ろ姿ばかり。静寂も当然なのだが、
そこに抒情があり、詩情があるので、惹きつけられた。
行く前には、ハンマースホイという名前が覚えられなくて、何回も間違え、
友達にあきれられたが、帰りには、好きな画家として記憶できた。
今回のタイトルは「ハマスホイとデンマーク絵画展」なので、最初の3室は
デンマーク絵画。最後の4室めだけがハマスホイ部屋。
ハマスホイはまだ?と思いながら見た第一室は、風景画が中心。
風景画は好きなので、いつのまにか熱心に見ていた。
「海岸通りと入江の風景、静かな夏の午後」1837年
デンマーク黄金時代の画家コンスタンティーン・ハンスンの
「果物籠を持つ少女」1827年頃
この絵はハマスホイが所蔵していて、実際、室内画の中で描かれている写真があった。
デンマーク絵画。最後の4室めだけがハマスホイ部屋。
ハマスホイはまだ?と思いながら見た第一室は、風景画が中心。
風景画は好きなので、いつのまにか熱心に見ていた。
「海岸通りと入江の風景、静かな夏の午後」1837年
デンマーク黄金時代の画家コンスタンティーン・ハンスンの
「果物籠を持つ少女」1827年頃
この絵はハマスホイが所蔵していて、実際、室内画の中で描かれている写真があった。
第2室に入ったとたん、絵の大きさと明るさに驚く。
フリッツ・タウロウの「スケーインの海岸」1879年
デンマーク北端の漁師町「スケーイン」、手つかずの自然が残るこの地に画家たちが
集まって来て、働く漁師や光あふれる海を描き、スケーイン派と呼ばれるようになった。
写真はないが、ミケール・アンガ「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年
は、大きな画面いっぱいに海難救助に向かう漁師たちが描かれ、緊迫感が表情から
すぐにわかり、見る側も緊張してしまった。
オスカル・ビュルク「遭難信号」、窓から海を覗きこむ夫婦。映画の一場面のような絵
も印象に残った。
フリッツ・タウロウの「スケーインの海岸」1879年
デンマーク北端の漁師町「スケーイン」、手つかずの自然が残るこの地に画家たちが
集まって来て、働く漁師や光あふれる海を描き、スケーイン派と呼ばれるようになった。
写真はないが、ミケール・アンガ「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年
は、大きな画面いっぱいに海難救助に向かう漁師たちが描かれ、緊迫感が表情から
すぐにわかり、見る側も緊張してしまった。
オスカル・ビュルク「遭難信号」、窓から海を覗きこむ夫婦。映画の一場面のような絵
も印象に残った。
同じくミケール・アンガなのに、印象派のような構図と光で、こんな穏やかな絵も。
「スケーインの北の野原で花を摘む少女と子供たち」1887年
ミケール・アンガの妻、アナ・アンガは室内画で、漁師町の日常を描いている。
「戸口で縫物をする少女」 1879年 (写真なし)
やさしい穏やかな絵。
私がいいな!と思ったのは、ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの
「スケーイン南海岸の夏の夕べ アナ・アンガとマリーイ・クロイア」1893年
モデルは画家のアナ・アンガと自分の奥さん。人脈がつながっていくのが面白い。
「戸口で縫物をする少女」 1879年 (写真なし)
やさしい穏やかな絵。
私がいいな!と思ったのは、ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの
「スケーイン南海岸の夏の夕べ アナ・アンガとマリーイ・クロイア」1893年
モデルは画家のアナ・アンガと自分の奥さん。人脈がつながっていくのが面白い。
同じく、P・Sクロイアの季節が違う「9月のスケーイン南海岸」、人のいない海岸。
画面が空、海、砂浜と縦に3分割された画面が印象に残る。
P・S・クロイアのこの絵も日常生活を垣間見る一枚でよかった。
「朝食-画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」 (写真はない)
なんと、P・S・クロイアは、ハマスホイの師匠。
第3室 室内画
この時代、デンマークで人気があったのは、室内画。
デンマークの人たちは、ヒュゲ(hygge くつろいだという意味)という時間を大切にし、
コーヒータイムをこよなく愛しているそうだ。
ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」1891年
薄暗い室内、ツリーの灯りが輝き、楽しそうな子供たち。
ヴィゴ・ヨハンスン「春の草花を描く子供たち」1894年
この時代、デンマークで人気があったのは、室内画。
デンマークの人たちは、ヒュゲ(hygge くつろいだという意味)という時間を大切にし、
コーヒータイムをこよなく愛しているそうだ。
ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」1891年
薄暗い室内、ツリーの灯りが輝き、楽しそうな子供たち。
ヴィゴ・ヨハンスン「春の草花を描く子供たち」1894年
ラウリツ・アナスン・レング「遅めの朝食、新聞を読む画家の妻」1898年
家具の色が北欧。画家の妻の後ろ姿。光さす朝の食卓、くつろぎ=ヒュゲなのだろう。
家具の色が北欧。画家の妻の後ろ姿。光さす朝の食卓、くつろぎ=ヒュゲなのだろう。
ピーダ・イルステルズ「ピアノに向かう少女」1897年
ピーダ・イルステルズは、ハマスホイの義兄、この少女は、ハマスホイの姪、後ろ姿!
ピーダ・イルステルズは、ハマスホイの義兄、この少女は、ハマスホイの姪、後ろ姿!
4、ヴィルヘルム・ハマスホイ
一番上のチラシに使われている絵「背を向けた若い女性のいる室内」の印象が強いので、
私には、ハマスホイ→ 後ろ姿なのだが、初期にはカリエールふうの顔が見える絵があった。
「夜の室内、画家の母と妻」1891年
静かな雰囲気。2人の間には会話がなく、妻は縫物、母は読書。
一番上のチラシに使われている絵「背を向けた若い女性のいる室内」の印象が強いので、
私には、ハマスホイ→ 後ろ姿なのだが、初期にはカリエールふうの顔が見える絵があった。
「夜の室内、画家の母と妻」1891年
静かな雰囲気。2人の間には会話がなく、妻は縫物、母は読書。
その後、1898年、妻の後ろ姿の室内画を制作。
代表作のトップの1903年作品に先駆けるもの。
「室内」1898年
代表作のトップの1903年作品に先駆けるもの。
「室内」1898年
風景も描いていた。
左:「農場の家屋、レスネス」1900年
右:「室内 開いた扉、ストランゲーゼ30番地」1905年
ストランゲーゼ30番地は、その時、ハマスホイ住んでいた家の住所。自宅の室内。
風景画も1906年の制作になると、色彩がハマスホイ特有の抑えた色彩。
「聖ペテロ聖堂」1906年
ハマスホイの絵を見ることが目的で行った展覧会だったが、2008年の展覧会と
比較すると、そちらに軍配になってしまう。しかし、今回、初めて見たデンマーク「スケーイン派」
の画家たちの絵がとても良かった。ミケール・アンガとピーザ・スィヴェリーン・クロイア、
この2人の名前を忘れないでおこう。
スケーイン派、2017年春に西洋美術館で「シャセリオー展」があった時に、同時開催で、
シャセリオー展のチケットで見れるようになっていた。どうして見なかったのかしら。
お茶に急いだから?シャセリオー展の記事を読み直して、内容豊富だったから時間がなくなった
とわかり、ちょっと安心。
シャセリオー展のチケットで見れるようになっていた。どうして見なかったのかしら。
お茶に急いだから?シャセリオー展の記事を読み直して、内容豊富だったから時間がなくなった
とわかり、ちょっと安心。