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ポンピドゥー・センター2014年春 [☆彡Paris 美術館]

10日前、フランスの週間誌社「シャルリー・エブド」がイスラム過激派により
襲撃され、12人が殺害された事件が世界中を震撼させた。
実行犯の兄弟2人は逮捕されたが、女性警官を殺害、さらにユダヤ人商店で
2人を殺害した容疑者は射殺されたが、妻はシリアに逃亡した。
イエメンのアルカイダから犯行声明が出たのを受け、オランド大統領は、
この事件を「テロ」と断定し、アメリカとも協力し、テロに立ち向かう宣言をした。

パリの親友Eに電話をしたら、職場に日本の新聞社がインタビューに来たと
言っていた。「次、いつ来る?」ときかれ、「3月末」と答えたものの、ことの成り行き
によって、どうなることか、、と不安がよぎる。

昨春、行ったポンピドゥー・センターでは、絵が数年前とだいぶ変わっていて面白そう
だったが、時間がなかったので、今度ゆっくり、と思っていたのだ。

とりあえず、目新しかった絵を載せておこう。
ピカビア(1879~1953)の「Udnie」 ウドニー1913
この写真でわかる通り、大きな絵。
ピカビアは、ニューヨークの「アーモリーショー」(現代美術展)に行くために
船に乗った。船上でポーランド人のダンサーのステージを見て感動し描いた絵。
中央にダンサーが見える?幾何学的な形と色の構成が立体感を出している。

04Picabia.jpg

次は、女性を描いた絵。
レジェ(1881~1955)お針子1910年 みごとなキュビズム
JavierVilato(1921~2000)ドイツ人の肖像1957年
ピカソ(1881~1973)「女性の上半身」1907年 26才の作品だが、もう既にピカソらしさが。

09Picasso.jpg

アウグスト・マッケ(1887~1914)「オレンジと茶色の女性の頭部」1911年。
単純化されているけれど魅力的な絵。色彩も綺麗。マッケは27歳で戦死。

01.jpg

レジェ「形のコントラスト」1913年
上にある「お針子」から3年後の作品。キュビズムとは違う形。
02Leget.jpg

アルベルト・マニエッリ Alberto Magnelli(1888~1971)「荷車に乗る男」
パイプをくゆらせる男の前のテーブルには、ワイングラスとキャンティのボトル。
マニエッリはイタリア人。色の鮮やかさ、明るい楽しさに目をひかれる。
キュビズムだが、初期のカンディンスキーに似た色合い。

03Magneri.jpg

カンディンスキー(1866~1944)「アラビアの街」1905年
今から100年前のアラビアの街。人々の衣服もアラビア。
カンディンスキーは、抽象に向かう前は、風景画を主に描いていた。
06Kandinski.jpg

ファン・グリス(1887~1927)「6月21日の戸(出口)からの眺め」
グリスはスペイン生まれのキュビズムの画家。
戸を境に外の景色と部屋の中の様子が描かれている。

100Gris.jpg

アンドレ・マッソン(1896~1987)「四元素」1923~24
シュルレアリズムの画家。私には難解。
05Masson.jpg

マッソンがちょっと、どろどろした世界だったので、最後はかわいい絵
ジャン・アルプ(1886~1966)「女性」1927年
眉、目、口、茶色の部分は、木が貼り付けてある。
07Arp.jpg


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ザッキン美術館 [☆彡Paris 美術館]

ザッキン美術館は、彫刻家ザッキン(1890~1967)のアトリエを美術館に
していて、モンパルナスの住宅街にひっそりとある。
私の知っているザッキン彫刻は、ブリヂストン美術館の「三美神」、庭園美術館の
「住まい」のような無機質の厚みのない平べったい人間の像。


ここでも、平べったい2人の人間の彫刻が出迎えてくれた。
「ゴッホ兄弟へのモニュメント」1963年。
弟テオに寄り添うヴィンセント。寂しさが漂う。
オランダのZundert広場にある彫刻「ゴッホ兄弟」の縮小版。

Zakkin1.jpg

ザッキンはロシア生まれ。経済的に豊かなユダヤ系の家庭に育つ。
彫刻家を目指してパリに来て、ピカソ、フジタ、モディリアーニたちと知り合う。
キュビズムの彫刻家として脚光を浴びたが、アフリカの原始彫刻にも興味を持ち、
温かみのあるブランクーシふうの木彫もあった。

zakkin2.jpg


アトリエは小さいが、緑に覆われた庭があり、そこに彫刻が配置されている。
緑が生い茂り、彫刻が見えにくいが、左側、両手を高く上げているポーズは、
代表作「破壊された都市」1947年。戦争の悲惨さを訴え、2度と戦争をおこさ
ないようにと祈りをこめて造られた。もう少し大きなものが、オランダ・ロッテルダム
の広場に設置されている。
右側は顔が見えないが、「オルフェ」1935年
ギリシア神話の吟遊詩人オルフェ。竪琴を持っているが、胸が引き裂かれている。
キュビズムとギリシア彫刻の融合をめざしたそうだ。

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左側は、「人間の森」1957年。人間と植物の融合


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「水を運ぶ女性」1927年
この女性のつるりとした体は、ブリヂストン美術館にある胴体だけの作品
「ポモナ」に繋がって行く気がする。

zakkin4.jpg

展示室内には、「水を運ぶ女性」の試作だろうか。木彫が見える。
奥は、「ポモナ」に至る手前のような黒檀の作品。
ザッキンは、石彫、木彫の作品も多く、木を愛していたということが伝わってくる。

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こんなふうに人間より大きいやさしさにあふれた木彫作品がいくつかあった。

zakkin7.jpg

アトリエでの展示を見て歩いていると、ザッキンを身近に感じることができた。
若い頃の写真があったが、なかなかのイケ面。[黒ハート]


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2010年春、オルセー美術館 ドガ・モネ [☆彡Paris 美術館]

 6月に「オルセー美術館展、ポスト印象派」が国立新美術館で、開催されたとき、
3月にパリのオルセー美術館で、いつもと違う絵が展示されていたのは、いつもの絵は
ここに来ているからだとわかった。
それで「2010年春オルセー美術館」で見たゴッホ、セザンヌ、マネ、ピサロらの絵をのせ、
「コロー、モネ、ドガ、カサットなどは別の機会に」と書いたので、今回、それらをご紹介。

 横浜美術館で開催されている「ドガ展」を見に行く予定なので、まず、ドガから。
ドガ(1834~1917)
 自画像(下) 妹マーガレット・ドガ(右側の上) 祖父(右側の下)

SelfPortrait.JPGMadoren-grandpere.JPG

 ドガは、印象派展に数多く参加したが、画風は、光を追求したモネとだいぶ違う。
ドガは、パリの生まれ、パリの美術学校で、アングル派の画家に師事し、ルーヴル美術館
やイタリアの美術館で古典絵画を研究した。自画像は、「アーティストの肖像」というタイトル
で、絵筆を手にしている。妹マーガレット・ドガの肖像画は、聖女の雰囲気がある。
「祖父の肖像」は、ドガらしくない画風に見えるが、初期の歴史画に見られるタッチ。
 [右斜め下]「バビロンを建設するセミラミス」1861年。左の上にかすんで見える都市バビロン。
   セミラミスは、政治的手腕に優れたバビロニアの女王で、芸術を愛し、神殿や空中庭園
   の建設を命じた。これは大きな絵。優雅さに惹かれた。

seramis.JPG
 上の絵の1年前に描かれた小さな絵「町を建設するセミラミス」1860年。
ドガは歴史画を描く時はいつも十分に研究をしてから取り組んだ。セミラミスのヘアスタイル、
馬車はルーヴル美術館のアッシリアのレリーフに倣っている。 

         DogasSemiramis construisantuneville.JPG
        

 ドガは、以上5点。
ドガの歴史画と共通点が感じられるのは、シャヴァンヌの歴史画だと思う。
   (このあたりのことは、yk2さんの記事に、とてもくわしく書かれてます)

シャヴァンヌの「パリに戻ったジュヌヴィエーヌ」は、市民から熱狂的に迎えられ
下船する様子の絵。壁画だったのだろう、3枚に分かれている。
ジュヌヴィエーヌは、パリの守護神で、451年にフン族のパリ襲撃の際、市民を
勇気づけて、パリを守った人。
Genevienne.JPG

 これらの絵のある1階ホールの角に置いてあるのが、カルポーの白い大理石の彫刻。
「皇太子と愛犬ネロ」1865年。

          Carpeau.JPG

 別の部屋には、モネの絵
おなじみの「ルーアンの大聖堂」が5枚並んでいた。日によって時刻により移り
変わるさまがはっきり見てとれる。陽をさんさんと浴びた午前中のオレンジ色、
夕暮れ、青空、雪の日。

 こちらは、「アルジャントゥイユの鉄橋」1874年。鉄道が盛んだった時代。
Monet 1874 Le pont du chemin de fer a Argentuil.JPG

巨岩で有名な「エトルタ海岸」1868年。
Monet 1868 Grosse mer a Etretat.JPG

「ヴィトウイユの教会」

Monet1.JPG

「テムズ川」

Monet.JPG

今回は、ちょっと忙しいので、コメント欄はなしです。


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2010年春オルセー美術館 [☆彡Paris 美術館]

 3月にパリへ行ったとき、オルセー美術館に寄った。
いつもと展示が違う!初めて見る絵がいくつも、と思ったけれど、それは改修工事
のために主要な絵がオーストラリア→日本→サンフランシスコというツァーに出ている
からなのだと帰国後、知った。

 今、開催中の国立新美術館の「オルセー展」で、一番の賑わいはゴッホの絵の所。
1887年」「アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ」「オウカンユリ」
「星降る夜」「アルルのゴッホの寝室」などが見れる。

3月に本家パリでお留守番をしていたゴッホ作品は、
 「アルルのダンスホール」 1888年 
    はっきりした輪郭、単純化された形。ゴーギャンの影響を強く受けている作品。
  
     Gogh 1888 La salle de danse a Arles.JPG

 「アルルの女(Mme.Ginoux)」 1888年
    この絵のモデル、Mme.Ginouxは、アルルでカフェを経営。ゴーギャンやゴッホ
がたびたび訪れていた。特にゴッホは、ここに下宿していたので、Mme.Ginouxとは、
親しかった。「彼女にアルルの伝統衣装を着せ、背景をレモンイエロー、顔はグレー、
服は黒、緑のテーブルにひじをつくポーズ。オレンジ色の木の肘掛椅子」と、絵の構想
を、弟テオに宛てた手紙に記している。     

     Gogh 1888 L'Arlesienne,Mme.Ginoux.JPG

 「サンレミの病室」 1889年
アルルで、ゴーギャンとの激論の末、怒号したゴッホは、自分で自分の耳を切り
落としてしまう。サン・レミに引っ越したゴッホは、ゴーギャンに対する発作的興奮
を自覚し、病院に入院した。
  ねじれた木、過剰な力、過剰な苛立ち、過度な表現と、当時は評論された。
     Gogh 1889 L'hopital de Saint Remi.JPG 


 (左)「シエスタ」 1889年
ミレーの絵をもとにしたもの。ゴッホはミレーを賛美し、作品を熱心に模写した。          Gogh 1889 Sieste.JPG Gogh 1890Chaumes a Cordeville.JPG

 (右)「コードヴィルのわらぶきの家」 1890年
終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズの小さな村。ゴッホはここの景色を気に入り、
数多くの風景画を描いた。これは色は地味だが、パワーあふれる絵。
       

 次は、セザンヌ
「一個のりんごでパリを驚かせたい」と言ったセザンヌ。
自然を円筒形、球形、円錐形と幾何学的に描くことを試みた。
 「りんごとオレンジ」 1895年~1900年頃
   果物が絵全体に伸びる対角線の上に配置され、皿、水差し、テーブルクロスが
   同じ白であること、掛け布と果物の色の類似によって、りんごとオレンジが際立って
   見える効果がある。
      
      Cezanne4.JPG

 「青い花瓶」 1889年
   美しく咲いている花を描くのではなく、色の調整を考え、計算された絵。
   垂直線、水平線が構図全体に感じられ、花瓶の青と背景の青の微妙な色違いが
   ポイント。さらに机の上にりんごを置くことで、りんごのセザンヌと言いたかった。   
     Cezanne1.JPG

 「カードをする人たち」 1890年~1895年
   セザンヌは、エクス・アンプロバンスの美術館で、同地出身の農民を描いて有名な
   ナン兄弟の「カードをする人たち」を見て、これをカラバッジョ的な手法で描こうとした。
   中心に酒瓶を置き、左右対照の構図の輪郭とした。白いカードを持つ手が真ん中に
   あり、実際に見ると、手に緊張感があるのがわかる。カードに集中する静けさも伝わ
   ってくる。

   Cezanne3.JPG

  左) デルフト焼きの大きい花瓶にはいったダリア 1873年 初期、印象派の時代
  右) アジアの農夫 1900年~1904年

Cezanne2.JPG Cezanne5.JPG 

 光を追い続けた印象派の絵は、輪郭線がなかった。
ブルターニュ地方のポン・タヴェンに集まったゴーギャンを中心とした画家たちは、
輪郭線と単純化した形に重きを置いた。後期印象派とよばれている。
エミール・ベルナール(1868~1941)もそのひとりである。

   「陶器の水さしとりんご」 1887年
     この絵を描いたとき、ベルナールは19才。果物と構図の選び方はセザンヌ的だが、
     黒の輪郭線と単純化で、はっきりとセザンヌとは異なる路線を示している。
     背景の水平線的な色の塗り分けが、果物と水差しを際立たせている。
     この絵は、ゴッホがアルルへ旅立ってから、制作されたので、この絵のことを
     手紙で読んだゴッホは、「すばらしい未知の仕事」と、ほめた返事を送っている。

    Bernard 1887 Pots gres et pommes.JPG

 ポール・セリジェ(1864~1927)もポンタヴェン派である。
  「ブレトンのレスリング」 1890年
ブレトン(ブルターニュ地方)なので、観客の女性がブレトンの衣装で頭巾をしている。
当時のブレトンは古い伝統が工業社会に変わる移行期だった。

   Serugier 1890 La Lutte Bretonne.JPG

 国立新美術館のオルセー展には、ドニの「セザンヌ礼賛」というセザンヌの絵を
真ん中に置いた芸術家の集団肖像画があったが、
これは、アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ドラクロワ礼賛」 1864年

    Fantin-Latour 1864 Hommage a Delacroix.JPG

 ファンタン=ラトゥールは、白いシャツ姿。ドラクロワの肖像画の前に、花が飾られて
いるのは、ラトゥールが花の絵が得意だったからでしょう。自分と花と肖像画が目立ち
ますよね(笑)。ラトゥールの逆時計周り隣は、Whisler,ひとりおいて茶色い髪がマネ、
ブラックモン(映画「夏時間の庭」で花瓶が話題になっていた)、ボードレール。


 マネのこの絵は、透明感があって、遠くから目だったけど、タイトルわからず。

Manet.JPG 

 マネの「扇を持つベルト・モリゾ」 1872年 (左)
 ベルト・モリゾの「ちょうちょ採り」 1874年 (右)

 Morisot 1874 La chasse aux papillons.JPG Morisot 1874 La chasse aux papillons.JPG

 ピサロの風景画。
  上は、ベルギーの教会 1894年、下は秋の日のエラニーの庭 1897年
    右は、三角スカーフの少女 1893年。はっきりした点描の絵。

Pissarro 1894 L'eglise de Knocke(Belgique).JPG  Pissarojeunefemme.JPG

 今回の国立新美術館のオルセー展に出ている画家の絵を取り上げてみた。
コロー、モネ、ドガなどは、オルセー美術館2010年春(2)


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ドラクロワ美術館 [☆彡Paris 美術館]

 ドラクロワ美術館は、画家ドラクロワが晩年に住んでいたアトリエ。
住宅街なので、入口のフランス国旗が目印になっている。
ドラクロワは58歳の時、サン・シュルピス教会(ダ・ヴィンチコードで有名になった)
の壁画制作を頼まれ、教会の近くのここにアトリエを持った。

Dolacroix2.JPG

 美術館といっても、ドラクロワの絵はほとんどない。デッサンと小品が少しだけ。
お宅訪問という感じ。一部屋、一部屋はあまり大きくない。重厚な家具も小さめ。
居心地がよさそう。部屋からは中庭が見える。

Delacroix2S.JPG

Delacroix3S.JPG

 ドラクロワが使っていたパレットも展示してあった。
ドラクロワと親交のあったショパンやジョルジュ・サンドもこの家によく来たそうで、
サンドを描いたデッサンが数枚あった。

 ドラクロワは迫力ある画風で、大きな絵も多い。
代表作は、100フラン札に使われていた「民衆を導く自由の女神」だろう。
これは、ルーヴル美術館にある。
delacroix_Liberte.jpg

 ここから歩いて7~8分のところに、有名なケーキ屋さん「Piere Herme ピエール・エルメ」
があるので寄った。いつも行列の店。今回は並んでいると、新作のチョコレートが配られた。
レモン味のチョコ。レモン味がチョコに合う。 
買ったケーキは[右斜め下] 

 PierreHerme.JPG

 私は、左のピンク。フランボワーズがマカロン生地にはさまれているのを食べた。
これは、「イスパファン」という名前で日本でも売っている。  
  Mr.E も、「これは、おいしい。昨日のよりおいしい」 と、満足顔だった。


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ギメ美術館の日本の工芸品 [☆彡Paris 美術館]

  パリのギメ美術館の日本のコーナー。
これは何でしょう?
刀の鍔(つば)コレクション。展示方法のセンスが光る。

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  浮世絵展は、見物人がいなかったけれど、ここには7~8人。
甲冑(春田派)。江戸時代 17世紀
面と胴着の部分だけのシンプルな展示がおもしろい。

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 お茶道具。
赤楽茶碗 本阿弥光悦(1558~1637)作。
光悦の赤楽茶碗「峯雲」を琳派展で見たことを思い出す。
これは、「峯雲」より安定した形で、模様もすっきりと。
「峯雲」は、あの危ういまでの形と、はっきりした雲のもよう。
それゆえ傑作で魅力的だった、とここの茶碗を見て気づいた。

向こうにある花器は備前。

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 「かきつばた角皿」 尾形乾山  
これも昨年秋の琳派展でおなじみ。琳派展には3回行った私。

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同じく、乾山の「あじさい角皿」 「百合角皿」 

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 色絵重箱「龍田川」 18世紀

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 「4枚組皿 菊、松、組葉」

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  「色絵美人変形皿」 伊万里 17世紀末~18世紀

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  皿 「魚と滝」 有田・伊万里 18世紀末
真ん中右寄りの図柄が、鯉の滝登りだろうか? 丁寧な絵付け。色が美しい。

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 [魚座]「北野天神縁起絵巻」 菅原道真の生涯。1538年、とても保存がよく字が
はっきり読めるし、細い筆の絵も鮮明。500年近くたっているとは思えなかった。
 以前に、出光美術館で見たものとは、どこが違うのだろう?
絵巻は長いので、どの部分を出してあるかでも違う。写真を撮るのも難しい。

 能面も数点、壁にかけて展示してあった。


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