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シスレーが住んだモレ・黒田清輝が住んだグレ [絵が描かれた場所を訪ねて]

 シスレー Alfred Sisley(1839~1899) はパリで生まれた風景画家。
印象派のルノアール、モネ、ベルトモリゾらと共に活動をした。

1880年代から、セーヌ川の支流であるロワン川流域のモレ・シュル・ロワン
(Moret sur Loing)の景色を多く描き、亡くなるまでの20年間そこに住んだ。

「モレの橋」1893年 オルセー美術館

SysleyMoretSurLoing.jpg

半円形の水道橋のような橋、塔のある古い館、ポプラの木、輝く水面。
この景色のところに行ってみたいと予てから思っていた。
とはいえ、今でもこの景色が残っているかどうか、、。
数年前、ここに行ったNさんが、「靄の中でとってもすてきな景色だったの。
きれいなところよ~。フォンテンブローから、タクシーで行けるし。」

私が行った日は雨が降っていた。フォンテンブロー城を出て、タクシーに
15分ほど乗ると、Moret sur Loingの入口「サモア門」についた。
城壁に囲まれ中世の面影を残している小さな街。
門をくぐった大通りは、ローマ時代からある道なので、車が1台通れるだけ。
しかも、大通りはわずか100mほどで、出口の「ブルゴーニュ門」になる。

MoretPorte.jpg

門を出たところが、ロワン川で、絵にあるアーチの橋がかかっている。
これは橋の上からの写真。中州にポプラの木と家があった。
左端の塔のような建物は、まさしくシスレーの絵に登場する古い館!

Moret2.jpg

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橋の逆方向は、のどかで広々とした景色。

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[右斜め下]「Moret sur Loing」 個人蔵
やはり左端にアーチの橋があって、川の水が光をうけキラキラしている。
中世の面影を残す建物がこの景色に溶け込む。

SisleyMoret.jpg

「驟雨の中のモレの橋」1887年
雨で景色がゆらいでいるこの絵は、この日の景色に近いかしら。

雨のモレ.jpg

大通りは一車線だけなので、タクシーは途中で止まるわけにはいかず、
降りて街を散策することはできなかった。
橋の横で車を停めて待っていてもらった。折からの雨で撮影スポットは
限られてしまうけど、一目でわかるシスレーの描いた絵の世界だった。


 シスレーがモレに住んでいた頃、モレから20kmの地「グレ」Gres sur Loingは、
外国人画家、音楽家のコロニーであった。1888年、黒田清輝は、法律学の研修で
フランスに留学。画家の藤雅三がラファエル・コランに師事する通訳を毎回つとめた
ことから、自分もコランに弟子入りをし、画業に転向した。

[右斜め下]「読書」1891年、この絵がフランスの画壇で入選し、黒田は実力を認められた。

Kurodadokusyo.jpg

こちらは、「ポプラの黄葉」1891年。明るい色彩の「外光派」の描き方。
当時、印象派は過去のものになりつつあり、新印象主義の「外光派」と
「象徴派」の時代だった。外光派のリーダーは、バスティアン・ルパージュ
だった。

ポプラの紅葉.png


10年後、黒田の住んでいた下宿に、日本から浅井忠が留学してきた。
「グレーの森」 1901年 外光派のように見えるがこれは水彩画。

AsaiGresForet.jpg

黒田の住んでいた通りは、今、「Rue KURODA seiki」と名付けられている。
タクシーの運転手さんは、Rue KURODA seikiを知らなかったが、ナビで
検索して、「お~、これか、わかった」と連れていってくれた。
庭から外に柳の枝がはりだしていた。浅井忠に「グレーの柳」という柳並木の
絵があったことを思い出す。

Kuroda3.jpg

Kuroda0.jpg

中には、入れないので、こういう看板がかけてあった。
この頃には雨がひどくなってきたので、ロワン川の岸辺に立って、浅井忠の
「グレーの洗濯場」を探すのは断念し、帰るために駅へ向かった。

 *uminokajinさんが、グレーを訪ねたときの記事です。
  コロー、浅井忠、児島虎次郎らが描いた低いアーチ型の橋、廃墟の写真が、
  まさに、グレーの景色なのです。ごらんください。

 


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