SSブログ

世紀末ウィーンのグラフィック [展覧会(絵以外)]

目黒美術館で開催されている「世紀末ウィーンのグラフィック」展、9日までなので、
あわてて見に行った。
アパレル会社創設者が自分のコレクションを京都国立近代美術館に寄贈したものである。

世紀末のウィーンを代表する作家は、クリムトであろう。そして、ウィーン、クリムトが
キーワードの大きな展覧会が2つ、現在開催されている。国立新美術館での「ウィーン展」、
東京都美術館での「クリムト展」である。

私が以前に見たもので、よかったのは、高島屋での「ウィーン世紀末展」
パリ・グランパレでの「クリムト・シーレ・モザー・ココシュカ」(1(2)

それらに比べると、これはグラフィックが中心なので、華やかさはないが、「分離派」が
好きだったら、おすすめ。点数が多いので、じっくり眺めると、結構、時間がかかるが面白かった。

これは、入り口

目黒_ウィーン入り口.jpg


入ってすぐが、クリムトの「ウィーン分離派の蔵書票」(1900年頃)
本で見る機会が多かったが、実物は、これとほぼ同じ大きさ。

クリムト_蔵票.jpg


1895年、パリで起こった「アールヌーヴォー」は、国境を越えて、ヨーロッパ全土に
広がった。ウィーンでは、1897年に「時代にはその芸術を、芸術には自由を」という
目標のもと、グスタフ・クリムト、ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーらが、
「ウィーン分離派」を結成し、旧来の歴史主義に挑戦した。
  分離派=Secession ラテン語からの造語 正式名称はオーストリア造形芸術協会

これは、全部「ウィーン分離派展」のカタログ。
左上:ヨーゼフ・ホフマン装丁「第10回分離派展カタログ」
左下:コロマン・モーザー装丁「第13回分離派展カタログ」
右の2つは、コロマン・モーザー装丁「第8回分離派展カタログ」
ネクタイ?と思える大きさのカタログ。装丁だけでなく形もユニーク。

目黒wien.jpg


周囲がアールヌーヴォー模様で囲まれているお洒落な楽譜もあった。

目黒ウィーン楽譜.jpg


分離派は、「ヴェル・サクレム」(ラテン語:聖なる春)という機関誌を刊行した。
コロマン・モーザー「ヴェル・サクレム」のためのオリジナル版画 1902年
大胆な線と木版の彫りをいかした印象に残る作品。
ヴァロットンの木版画時代もこの頃だったかしらと頭に浮かぶ。

目黒ウィーン_もざー.jpg
カール・モル「ホーエ・ヴァルテの住宅(コロマン・モーザー邸)」)
「ヴェル・サクレム」のためのオリジナル版画 1903年

目黒ウィーン_カールモル.jpg

カール・モルは画家で、「分離派」の創設メンバー。クリムトが1905年に分離派を離れたのちも
「分離派」を支え、ゴッホのウィーン展覧会を開催した。書斎での自画像には、ゴッホの絵が見える。

ヨーゼフ・ホフマンは建築家で家具デザインもした。
コロマン・モーザーは、ホフマンの弟子である。
木版画は「分離派」の芸術家たちに重要視された。絵画よりも安いため一般の人が
購入でき、生活の中で身近なものになった。当時、ヨーロッパでは日本の多色刷り木版画が
人気で、「分離派」の版画にも取り入れられた。
  (日本の多色刷版画は彫りと刷りが分業だが、ウィーンでは制作者がすべてを行った)
オスカー・ココシュカ「山麓で羊といる少女」1906年
目黒ココシュカ.jpg


クリムトとシ-レのデッサン画が展示されてる部屋があり、見応えがあった。
「ウィーン大学の大広間天井画」を描くためにクリムトは、宣誓のポーズや、下向きの手だけ
とかローマ風の長い法衣の立ち姿など、いくつものデッサンをした。そのデッサン画を見ながら、
天井画のためには、おびただしい数のデッサンが必要だったことを実感した。
この展覧会で、一番良かったのは、シーレのデッサン。デッサンだが薄い鉛筆書きではなく、
もうそれで完成品の絵になっていた。線がいきいきとして力
強くすばらしかった。
会期の初めには、写真撮影OKだったのに、シャッター音がうるさいからと撮影禁止になっていて、
残念。


次の部屋は、ウィーン工房、図案集。

目黒wen.jpg

上:フリードリッヒ・ケーニッヒ「ミューズ礼賛」 1901年
下:フェルディナンド・アンドリ「天使と2人の人物」1905年頃
中央に天使を配し、両脇に人物というこの構図のものが、数点あった。
当時、流行ったのだろう。

目黒ウィーン2女.jpg


同じような構図を使う、図案の研究がなされるようになった。
デザインの工房が1903年に、ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーによって設立され、
ウィーン工芸学校もデザインの教育改革がなされた。


モーザーの図案

目黒ウィーン_もざー模様.jpg


カール・オットー・チェシュカ「キャバレー、フレーダー・マウス上演本の表紙第1号」1907年
(下の黒白のもの)
モーリツ・ユンク「キャバレー、フレーダー・
マウス上演本の表紙第2号」1907年

目黒ウィーン_キャバレー.jpg


ポスターやカレンダーという日常生活に関わるグラフィックの制作も盛んにおこなわれた。
テオドール・ツアシェ「第6回国際自動車展のポスター」1906年

目黒ウィーン国際自動車展.jpg


ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユンクニッケル「三羽の青い鸚鵡」
非連作「シェーンブルンの動物たちよりより」 1909年
  (ウィーンのシェーンブルン宮殿には動物園があり、世界最古の動物園である)

目黒ウィーン_3羽のおうむ.jpgエルンスト・シュテール「湖」1906年

一見、版画に見えないフェルディナンド・アンドリの「座る農婦」、立て膝という
ポーズ、実りの畑が印象に残った。


ここでは、取り上げなかったが、「分離派」は建築の分野に後に残る良い作品が多かった。
代表格オットー・ヴァーグナー関連の習作やスケッチがあり、アドルフ・ロースの
家具で構成された部屋があった。

「分離派」に興味のある人には、面白い展覧会。入場料も800円と安い。
6月9日(日)まで。


nice!(42)  コメント(15)