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杉浦非水展 [展覧会(絵以外)]

杉浦非水(1876~1965)、その名を初めて聞く人も多いだろう。
私は、yk2さんの記事、「吉田博とアンリ・リヴィエールと同時代の日本版画の作家たち2
で、「杉浦非水」の昔の三越のシンプルで明快な広告を見て、古さを感じさせないデザイン
が記憶に残った。

この展覧会は、近代美術館の一角(一部屋)で開催されていたので、前々記事の「福沢一郎展」や
「コレクション展」を見ると、入場無料で見れるシステムだった。

非水_看板.jpg


展覧会は、「イメージコレクター・杉浦非水展」というタイトル。
非水は、東京美術学校の日本画科に入学するが、油絵科の教授・黒田清輝がフランスから
持ち帰ったアールヌーヴォーの写真や書籍を見て感銘を受け、黒田邸に通い模写、図案家
を志した。卒業後、三越のポスター制作の仕事に携わり、商業美術の分野を発展させた。
ヨーロッパに遊学の後、教え子らとポスター研究会を作り、多摩美術大学の創設に
加わり初代校長となった。図案家としての制作の傍ら、図案芸術を広めるという功績を
残した。
「三越銀座店 四月十日開店」のポスター(1930年)
都市生活への憧れを喚起する百貨店というイメージのポスター。
着物姿が大半の時代、この女性の服装は大変モダンなしゃれたものだっただろう。

非水_三越ぎんざ.jpg


展覧会のチラシは、これ。

非水_ちらし.jpg

なんで、こんなにいろいろなものが、、と思ったが、見終わってわかった。
「イメージコレクター・杉浦非水展」というタイトル。
コレクションしたもの(インプット)から、作品をつくる(アウトプット)という
作業に焦点を当てた展覧会なのだった。
左上のほうにある馬の写真は、このポスターの馬に使われたのだろか。
「戦後の用意」逓信省(現・郵政省)のポスター (1915~19年)

非水_貯金広告.jpg

日清、日露戦争の後、1910年、日本は韓国を併合。
その時代に日本交通公社の依頼で作った観光客用の「KEIJYO、CHOSEN の地図」(1913年)
と「JAPAN」(たぶん地図)1910~20年代
アールヌーヴォーの影響だろうか。この時代の作品は、花、山など自然をモチーフにしたものが
多く、かわいい感じにまとめている。

非水_JTB.jpg

ヤマサ醤油(1920年代)
パターンが2つある。
非水_ヤマサ醤油.jpg


地下鉄開業(1927年)
これは私が一番好きな広告。遠近法と影絵での細長い人々が当時は斬新だっただろう。
下の地下鉄広告には、みっしりと人が描きこまれ、押すな押すなの大盛況というイメージを
伝えている。
非水_地下鉄.jpg


台湾の観光案内「FORMOSA TAIWAN」(1928年)
FORMOSAは欧米諸国で使われていた台湾の別称。

非水_台湾旅案内.jpg


日立冷蔵庫(1933年)

非水_日立冷蔵庫.jpg


非水は図案としてのモチーフを、組み合わせて使った。同じものに変化を加え、
再利用することもあった。
上の白クマを17年後の「AUROLA」(1950~60年代)の広告図案に用いた。
非水_しろくま.jpg


同じポーズの踊る人のモチーフの使用例
左:雑誌「帝劇」に掲載された三越の広告図案(1920年代)
右:第25回光風会展覧会出品作「ピエロ」(1938年)

非水_ピエロ2つ.jpg


今でこそ、インターネットを介して多くの写真や絵を手に入れることができるが、
非水の時代には、多くの資料を持つことが図案家の財産だった。それらを組み合わせて
新しい図案を作っていった非水は、作品集、図案集を出版した。
ポスターから図案へと活動が広がり、多摩美術大学の校長と教育者になった非水は、
工芸活動のひとつとして図案をとらえるようになっていった。
この展覧会の図録の表紙は、これである。三越で帯のために考えた図案。

非水_表紙.jpg


工芸家の渡邊素舟は、非水の図案の特質を「線における形の単純化」と述べ、
「日本の伝統的な装飾図案はみな絵画的図案であったが、欧州の新芸術が輸入されると
図案の様式が急転した」そして、非水が具体的な図案を提示したと功績をたたえている。

非水が校長を勤めた多摩美術大学図案科の機関誌「デセグノ」(エスぺランド語で
デザインを意味する)の内容は、商業美術、工芸美術、産業工芸まで含み、日本の図案
からデザインへの展開のようすを見ることができる。
「デセグノ」が開かれて展示されているページを見て驚いた。早くに亡くなったので
私は会ったことがない親戚の執筆ページだったのである。

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