ルート・ブリュック展 [展覧会(絵以外)]
東京ステーションギャラリーで開催中の「ルート・ブリュック展」に行った。
ルート・ブリュック(Rut Bryk) はフィンランドを代表する女性の陶芸家で、
1916年生まれなので、もう亡くなっている。
1916年生まれなので、もう亡くなっている。
北欧なので、綺麗な色彩で温かみのある素朴な作品、どれもがよかった。
フィンランドといえば、ムーミンが有名。素朴さ、愛らしさに通じるものが
あるような。。
チラシに使われている「ライオンに化けたロバ」、石膏に絵を彫って型を作り、泥漿を流しこみ、
釉薬を、、鋳込み成形というらしい。
釉薬を、、鋳込み成形というらしい。
イソップ童話で、ロバがライオンの皮を拾って、被ってみると、動物たちがライオンと間違えて
こわがって逃げるので、面白くて、ヒヒーーンとないて見せたら、とたんにロバだとバレたと言う話。
だから、ロバが、おなかに入ってるのだが、暗くて、お腹のロバは見えにくかった。
だから、ロバが、おなかに入ってるのだが、暗くて、お腹のロバは見えにくかった。
タテガミの宝石ふうの飾りは写真より実物がずっと豪華で立体感あり。
茶色のモノクロ作品もあり、これは、おなかのロバがはっきりわかる。花模様もかわいい。
茶色のモノクロ作品もあり、これは、おなかのロバがはっきりわかる。花模様もかわいい。
ルート・ブリュックの両親は早くに離婚。蝶の研究者だっ父と暮らした。
ヘルシンキの美術工芸学校でグラフィック・アートを学んだ後、アラビア製陶所に入社。
ヘルシンキの美術工芸学校でグラフィック・アートを学んだ後、アラビア製陶所に入社。
絵付けの仕事をしたりした。幸せなイメージのやさしい絵。
「コーヒータイム」1945年
「コーヒータイム」1945年
「スグラフィート」という掻き落とし技法を同僚カイピアイネンから学び、制作した
「結婚式」1944年 シャガールふうの絵。
「結婚式」1944年 シャガールふうの絵。
イタリアへ旅し、初期のルネサンス芸術に触れた後の作品は宗教的なものが多い。
「母と子」
「最後の晩餐」この作品で、ミラノ・トリエンナーレでグランプリ受賞。
釉薬を用いて盛り上がった立体感と線。ステンドグラスのように見え、宗教的主題にふさわしい。
「東方の三博士」1944年 テーブルの天板。アラビア社と家具メーカーが共同で木製家具に
陶板をはめ込んだものを作った。
鳥のシリーズを作り始める。
これは陶器 ↓
大好きだった父が亡くなった後、父の研究課題の蝶をモチーフとした作品を制作した。
ホンモノと羽根のもようが同じ蝶の作品は、父が残した標本を見ながらの制作。
サブタイトルが「蝶の軌跡」とあるように、蝶シリーズの作品はたくさんあって、色も美しい。
会期の初めは、写真撮影OKだったのが、シャッター音がうるさいとの苦情が出て、撮影場所は
制限されていた。蝶のコーナーは色が綺麗なので、写真が撮れたら良かったのだが。
会期の初めは、写真撮影OKだったのが、シャッター音がうるさいとの苦情が出て、撮影場所は
制限されていた。蝶のコーナーは色が綺麗なので、写真が撮れたら良かったのだが。
以降の写真は、チラシの裏に出てたもの。
ルート・ブリュック、後半の人生は、作風ががらりと変わり、立体に関心が移っていく。
始めは、こんなかわいい立体を進出させたもの、後退させたもの、大小の大きさで、
リズミカルに模様を描いた壁面用のパネル。
小さなタイルに模様をつけ釉薬で装飾、それらを組み合わせて作り上げた立体「都市」。
壁面でなく、床置き。
展示する場所によって、タイルのパーツを入れ替えると、様々な都市を表現することが
できるというアイディア。建築模型のようなものなので、かなり大きな作品。
立体を組み合わせた幾何学的な作品は、北欧の自然の純粋な美しさを表現しているそうだ。
最後の方の壁面作品は、昔のレンガを残した東京ギャラリーステーションの壁面にとても
合っていた。
何年もかけて制作した最後の作品「流氷」は、フィンランド大統領の私邸の壁面を飾って
いるそうだ。国民的作家ならでは、であろう。
温かいものが伝わってくる良い展覧会でした
東京では、明日16日が最終日ですが、この後、伊丹、岐阜、久留米と巡回します。
東京では、明日16日が最終日ですが、この後、伊丹、岐阜、久留米と巡回します。