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奈良美智美術館 [展覧会(西洋画)]

奈良美智美術館は栃木県那須塩原市にあり、「N's YARD」という名前である。
那須市は、明治時代に元勲や貴族たちの別荘が建てられ、天皇家の御用邸がある。
奈良美智は、那須の出身ではないが、ここを気に入り、2005年からここで制作を
行っている。
N's YARDは、今も建物が残る明治時代の外交官青木子爵の別荘の敷地の一角にある。
青木子爵の妻はドイツ人で、鴎外の「舞姫」のモデルだそうで、建物内を見学できる。
N_tatemono.jpg

青木家別荘とは対照的な近代建築。外壁には地元の「芦野石」を使っている。


中は自然光が降り注ぐ。
奈良美智の描く「自己主張の強い女の子」は、見かけたことがあるかと思う。
MoMAやロスの現代美術館にも展示され、今や絵の値段は相当なものである。

第1室には、やさしい幻想的ともいえる絵。
Nara_Mizu.jpg
若い時の作品も展示されていた。
右端のヌードがピカソっぽくもあり、彼のオリジナリティはまだ表れていない。

N_Geidai.jpg


いよいよ登場。大きな頭に特徴的な眼。ちょっと意地悪な女の子。

N_Rotta.jpg

かわいい子もいます。髪の毛と目が同じ色というユニークさ。

N_Onnnanoko.jpg

本を読んでいても、メロディが浮かんでくる女の子のスケッチ。
奈良が音楽好きだからだろう。

N_Merody.jpg


ヘアスタイルが豪華な女の子。下の棚には奈良の集めたこけし人形などが置かれている。
中央にあるのは、横たわる釈迦(寝釈迦)のポーズでこけし顔の石膏作品。

N_kurikuri.jpg
戸棚の中にも「こけし」、こけしの顔がだんだん奈良ワールドになってきている。
左端のペコちゃんは、顔がロッタちゃんに近づいてきた。

N_Kokesi.jpg

音楽好きの奈良の好きなレコードジャケット。制作は音楽を聴きながら、するそうだ。

N_RecordJacket.jpg

このときは、コロナのため休みだったが、カフェも併設されている。
この白熊は、奈良が大好きなものでここに置くために持ってきたそうだ。
オルセー美術館にもいるフランソワ・ポンポンの「シロクマ」のミニサイズ。

N_shirokuma.jpg

こんなオブジェも。


N_CupNingyou.jpg


外には野外彫刻。「Miss Forest」

N_Niwa.jpg

振り返ると、室内に映り込んでいる。面白い光景。


N_Uturikomi.jpg


「N's YARD」は、冬の間はお休みです。


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ポーラ美術館展 [展覧会(西洋画)]

渋谷・Bunkamuraミュージアムで「ポーラ美術館展」を見た。

ちらしは2とおり。
ルノワールの「レースの帽子の少女」とマティスの「襟巻の女」

pola_tirashi.jpg


第1章から第4章と部屋ごとにテーマがあった。 

1、都市と自然 モネ、ルノワールと印象派
「睡蓮」モネ 1907年
モネの睡蓮は200枚もあるけれど、これは睡蓮の花だけを描いたもの。

ppola_monet.jpg


同じくモネの妻カミーユをモデルに描いた紫の花咲く夏の野原の「散歩」、
シスレー「ロワン河畔、朝」、ピサロは3点あった。
ルノワールはちらしの「レースの帽子の少女」を含めて8点あった。
「ムール貝採り」は小品だが、海辺での親子をいきいきと描いた日常生活の場面。
これの大きな絵がバーンズ・コレクションにあり、肖像画とは違うジャンルなので
印象的に残った。


2、日常の輝き セザンヌ、ゴッホとポスト印象派
セザンヌは3点。
「プロヴァンスの風景」1879~82
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「4人の水浴の女たち」もあった。


ゴーガンはタヒチに移住する前、印象派の時代の絵
「白いテーブルクロス」1888年
ppola_Ghogun.jpg

「ポン=タヴェンの木陰の母と子」1886年は、緑の木立の中に小さく描かれた母と子。
日本画の影響をうけているという構図が面白い絵だった。


ゴッホは1点。「ヴィグラ運河にかかるグレーズ橋」1888年
アルルのグレーズ橋と洗濯女、赤がアクセントになっている。
ppora_gohho .jpg

ボナールは5点。
「地中海の庭」1917~18年は、鮮やかな色彩の大きな絵。
pola_Bonard.jpg



3、新しさを求めて マティス、ピカソと20世紀の画家たち
マティスは、チラシの「襟巻の女」を含めて3点。
「室内 2人の音楽家」1923年は大きな絵
pola_Matisse2.jpg


デュフィの「パリ」は、今回のメインヴィジュアル。4枚のパネルの大きな絵。
会場の入り口で外に向けてこの絵の大きな写真が飾ってあり、「撮影可」のマークがあった。
ppola_Duffy.jpg

ピカソは4点。他にレジェブラックなど。



4、芸術の都 ユトリロ、シャガールとエコール・ド・パリ 
ユトリロ「シャップ通り」1910年

ppola_utrilo.jpg


ローランサン、キスリング、モディリアーニなどの絵もあった。


ルノワールの「髪飾り」という絵の傍に、ガレの「女神文香水瓶」1884年
が飾ってあった。
ppola_Galle.jpg



ポーラ美術館には何度か行っているが、所蔵品が多いため、今回初めて見る絵が
多かった。ゲルハルト・リヒターの絵を30億円で買ったことで話題になったが、
そのリヒターの絵のお披露目展覧会は来年4月からだそうなので、その時は、
行こうと思っている。



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トライアローグ展(会期終了) [展覧会(西洋画)]

2月末で終わった展覧会だが、横浜美術館、愛知県立美術館、富山美術館、3館の
20世紀美術のコレクション展なので、展示作品を今後、見る機会もあると思うので、
記事にしておく。

入り口.jpg


トライアローグは、三者の話し合いという意味なので、特定の作家、
たとえばピカソの作品を3館のものを並べて展示、比較するという試み。
Picasso3.jpg

左から「青い肩掛けの女」1902年(愛知)、「肘掛け椅子で眠る女」1927年(横浜)、
「座る女」1960年(富山)
ピカソの絵は、青の時代、バラ色の時代、キュビズム、新古典主義、シュルレアリズムと
変遷をとげ、第二次大戦後は過去の巨匠作品のアレンジやそれまでのスタイルの混合である。
「青い肩掛け」青の時代、「肘掛け椅子で眠る」シュルレアリズム、「座る女」混合の時代
であり、下の写真「肘掛け椅子の女」1923年(富山)は新古典主義である。
picaso_肘掛け椅子.jpg



次、ジョアン・ミロの作品も3館のが並んで展示されていた。
左:花と蝶 1922年(横浜) 右:パイプを吸う男 1925年(富山)
「パイプを吸う男」は日本で最初に購入されたミロの作品である。
写真はないが、愛知のは「絵画」で大きめのサイズ。

Miro花と蝶.jpg    miroパイプを吸う男.jpg


3館のコレクションは、横浜美術館はシュルレアリスム、愛知県立美術館は
ドイツ表現主義、富山美術館は第二次世界大戦以降に特徴がある。


レジェも3館のものが並んでの展示だった。
これは愛知県立の「「緑の背景のコンポジション」1931年
題名の通り緑色が鮮やか。レジェ作品に多くみられるモチーフ「機械」もある。
Leger緑の背景のコンポジション1.jpg
パウル・クレーも3館からの作品がたくさんあったが、私が好きだったのは、これ。
メルヘンぽいのだが謎めいている。
「女の館」(愛知)1921年
cray2.jpg
他に3館のものが比較できるよう並べられていたのは、ポール・デルヴォー。
「階段」1948年(横浜)不思議な絵。デルヴォーの絵は夜や朝もやが多いが、
これは眩しい光がさす昼間。
デルボー階段1.jpg

3館作品の比較はいくつもあったが、面白かったのは、マックス・エルンスト。
「少女が見た湖の夢」(横浜)、「森と太陽」(富山)
横浜のは何回も見ている絵で、富山もそれに似ている。
しかし愛知の「ポーランドの騎士」1954年は、色合いからしても他の2つの
重厚な暗さと異なり、青が基調。馬の顔はわかるが、左側に鳥、背景は廃墟?
MaxErnst_ポーランドの騎士.jpg

ハンス・アルプの絵は横浜でいつも見ていたが、その横に愛知の「森」という単純化された木
の形に型どった木材に絵の具を塗って仕上げたオブジェを展示し、傍らのテーブルの上に
彫刻「鳥の骨格」(富山)を置くことによって、アルプコーナーが出来ていた。
メレット・オッペンハイム「りす」は、横浜のと富山の、そっくりな2つが並ぶ。
こげ茶色のふさふさの毛と黄色のグラスでリスの形に似せている。

横浜美術館の自慢の作品マグリットの「王様の美術館」1966年
Magrid.jpg
他に、箱詰め作品のジョセフ・コーネル、アルマン、ブルーが特徴のイブ・クライン、
一昨年回顧展があったボルタンスキー、石膏像のジョージ・シーガル。
コンバイン・ペインティングのロバート・ラウシェンベルグ、ポンピドー美術館で
展覧会を見たのだが良さがわからなかった。今回の「ボーリアリス・シェアーズ」
(富山)も私には、、。
そして鮮やかな色彩を放つリヒターの「オランジェリー」1982年(富山)
こんなにたくさんの20世紀美術が集まることは初めてのことだと思う。
外国の美術館で見て馴染みのアーティストの作品に会えて、面白かった。
展示のしかたも、関連付けの工夫が随所に見られ、楽しかった。

今、人気のリヒターを先駆けて購入などの富山県立美術館に行ってみたいと思う。

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南薫造展 [展覧会(西洋画)]



南_ちらし.jpg


南薫造という名前は、初めて聞く人が多いと思う。
私が南薫造を知ったのは、yk2さんの日本の版画作家紹介の記事で、「畑をうつ」と
いう木版画を見て
、ほのぼのとしたやさしい風合いに好感を持ったからである。
と同時に、描かれた昔の瀬戸内海の素朴さに、昔はこんなだったのね、と思ったりした。
というのも、母が瀬戸内海に面した広島県で育ち、尾道に親戚がいるので、最初に
汽車で行った旅が海が目の前の尾道、渡し船で行く向島で、以来何度か行き、親しみがある。


チラシに使われている油彩画「少女」(1909年)を見た途端、アンリ・シダネルの
丸いテーブルがあるテラスの絵が浮かんだ。”南薫造は木版だけでなく、こんな可愛い
少女を描いていた。光あふれる画風、きっとパリに留学したのね” というわけで、
見たい展覧会リストに入れておいた。
3月、三菱一号館美術館で「コンスタブル展」を見た帰り、会場の東京駅ステーション・
ギャラリーに寄った。

没後70年の回顧展なので、絵は年代順に展示されていた。
南薫造(1883~1950年)は、広島県生まれ。美校(東京芸大)に進学。岡田三郎助に
師事した。休暇で帰郷するたびに、瀬戸内海や近隣の景色を描いていた。
瀬戸内海(1905年)油彩
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この頃の日本での流行りは、水彩画だったので、1907年、南は水彩画を学ぶために
英国に留学をする。そして、ターナーの光や色を真似、透明感あふれる水彩画を学んだ。
光あふれる外光派の技法も学んだ。チラシの絵「少女」」は、留学中の作品。

「座せる女」1908年も留学中に描かれた。
南_座せる女.jpg


「夕に祈る」も留学中に描かれた。
南は、従弟のすすめで、若き日にキリスト教の洗礼を受けている。
南_夕に祈る.jpg


「うしろ向き」もやはり留学中の作品。ちょっと外に開いた足がかわいい。
南_うしろ向き.jpg


ロンドンの景色の絵や、バーン・ジョーンズの模写、ヴェニスの絵もあった。
留学中は、陶芸家の富本憲吉と共同生活をし、共に、木版画の制作に勤しんだ。
彼ら2人は、木版画の下絵はもちろん、彫るのも摺るのも、自分で行った。

帰国後、数々の展覧会で受賞をし、脚光をあびた南薫造。
代表作「六月の日」はこの頃の作品である。
点描を用いて、六月、光を受ける初夏の農村の爽やかさを描いている。
南_六月の日.jpg


自分で彫り摺った「魚見」1911年頃
自分で摺っているので、同じ版木で色を変えたもの4枚が展示されていた。
南_版画.jpg


インド旅行をした時、描いた「タージマハール遠望」、アグラの廃墟など
インドの水彩画が12枚あった。
台湾、朝鮮・開城での水彩画、関東大震災の東京スケッチもあり、歴史を見ているかのようだった。

作品は主に風景画だが、静物画も描いている。
「りんご」(1916年)
南_りんご.jpg


1932年から43年までは、美校(東京芸大)の教授を勤めたため作品数が少ない。


退官後は、故郷広島で暮らし、身近な人々や近辺の景色を描いた。
晩年の画風には、フォービズムの影響がみられる。敗戦後と思えない明るい色彩。
「曝書」(1946年)

南_爆書.jpg


「日本的洋画」と解説があった。
若き日に留学をして、身に着けた西洋の画風。油絵、水彩画。それを基本に
日本の風土、アジアの景色を描き、木版画という分野を広めた。
「日本洋画」の先駆者、黒田清輝より17才年下で、黒田の弟子、岡田三郎助が
師である。

南薫造の展覧会は、広島以外では、初めてである。 4月11日まで。



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コンスタブル展 [展覧会(西洋画)]

コンスタブル展.jpg


三菱一号館へテート美術館所蔵の「コンスタブル展」を見に行った。
私は風景画が好きで、高校生の頃は、コローが好きだったが、ニューヨークの邸宅美術館
「フリック・コレクション」で、コンスタブルの「ソールズベリー大聖堂」を見た途端、
憧れの景色!と思った。

コンスタブルは、1776年、ロンドン北東部サフォーク州の生まれ。
1才年長のターナーと共に19世紀を代表する風景画家である。
ターナーがヨーロッパ各地を旅し、その景観を描いたのに対し、コンスタブルは主に
故郷の景色を描いた。ターナーに比較すると地味という評価だが、私はコンスタブル
びいきである。
コンスタブルが画家として生活して行こうと思った時代、絵の需要は、肖像画であった。
コンスタブルも頼まれて肖像画をいくつも描いている。
これは妻マライアの肖像。

Constable_Maraia.jpg

写真はないが、集団肖像画の「ブリッジス一家」は見応えがあった。
コンスタブルが尊敬し、画風を参考にしたのは、ゲインズバラだったので、
ゲインズバラの作品も展示されていた。ゲインズバラは等身大の人物画の
背景に風景を用いている。(Portrait of  Mrs.Lowndes-Stoneを参照


フランスで印象派の画家たちが、戸外で制作を始めたのに倣い、コンスタブル
も1802年から戸外での油絵制作を始めた。
「フラットフォードの製粉所」1812年
この絵が展覧会のチラシやポスターに使われている。

Constable_Flatford.jpg

コンスタブルは自然を綿密に観察して描いた。
夏の間は、空気の良いロンドン郊外のハムステッドに家を借りて戸外での制作に
励んだ。雲だけを描いた作品がいくつもあり、この展覧会でも展示されている。
「ザ・グローブの屋敷 ハムステッド」1821~22年。この雲も印象的。
onstable_Hamsted.jpg

結核を患っていた妻のために、海辺の街ブライトンに何度も行き、そこでの
情景を描いている。ブライトンの景色が4枚も展示されている部屋では、
「あ~こういう海岸だった、波が高くて、、」と以前、ドライブ旅でここに
一泊したときのことを思い出した。大きな絵なので、着飾った観光客と土地の子供、
漁師、廃船と海辺の様子がよくわかり、一大観光地としての往時が偲ばれた。
「チェーン桟橋 ブライトン」1826~7年

Constable_Brighton.jpg


妻が亡くなった後は、ソールズベリーで大聖堂を描き、司教と親交を結び、
悲しみを忘れようとした。前述の私が好きな絵「ソールズベリー大聖堂」は、
そういう経緯で描かれたものとわかった。


1832年のロイヤル・アカデミーの展覧会では、コンスタブルとターナーの作品が
並んで展示された。
「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」
Constable_WalterLooBridgeOpen.jpg

この横130センチの大きな絵に対し、ターナーの絵は横91㎝
「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」
Constable_Tarner.jpg
発表前の手直し期間に、訪れたターナーは、コンスタブルの絵の壮大さに驚き、
自分の絵の手前右寄りに赤いブイを描き加え、絵が引き立つようにした。


名声を確立した晩年のコンスタブルは、実際に見た景色に筆を加え、理想的な
風景画を制作した。
「虹がたつハムステッドヒース」1836年。
何回も描いてきたハムステッドヒースの景色に虹を描き加えたもの。
この絵は、最後に展示されていて撮影可だった。
Constable_撮影可.jpg


写真で見るより、実物の方がずっと良い。大きな絵の場合は、細かい所まで
見え、「こんなところに人物が、、、」と発見したり、塗り方の厚みも感知
できる。
予約をしなくてもすいていれば入場できますが、予約をした方が確実に見れる
のでおすすめです。
5月30日(日)まで開催

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ベルナール・ビュフェ回顧展 [展覧会(西洋画)]

東急Bunkamuraのミュージアムに「ベルナール・ビュフェ回顧展」を見に行った。
ドアノーが撮影した30才の時の写真が展示されていたが、かなりイケメン。

Buffet_thirashi2.jpg

ビュフェは、今年没後20年、独特の具象画でフランスを始め各国で人気を博し、
作品数も多い。2016年にパリ市立近代美術館で、回顧展が開催され話題になった。
日本では、静岡県、クレマチスの丘に「ベルナール・ビュフェ美術館」があり、
世界でただ一つのビュフェ美術館である。
コロナ禍で、海外から作品を借りるのが難しいため、静岡のビュフェ美術館の
所蔵作品を中心とした企画展である。


ビュフェは、1928年パリ生まれ。フランス国立高等美術学校に入学。20才で
権威ある賞を受賞し、脚光を浴びる。

「キリストの十字架降下」1948年

Buffe_Christ.jpg

20才で早くも独特の細長い人物、幾何学的構成というビュフェスタイルを
確立している。キリストの十字架降下の話を現代に置き換えている。
悲嘆にくれているのはキリストの母マリア、肩を抱いているのはビュフェ自身。


肉屋の男 1949年
絵の説明に「ルーヴルにあるレンブラントの同主題の絵に影響されて描いた。
レンブラントに同じくビュフェも動物の皮を好んでいた。」と書いてあった。
「ロンドン・ナショナルギャラリー展」で見た「34才の肖像」で、レンブラントは
毛皮を着ているけど、、ルーヴルの毛皮の絵は、タイトルなんだろう?

Buffet_Boucher.jpg

動物の皮は死してもなお存在感がある。一方、人間(自分)は、やせ細り、
壁と同化しそうな存在感のなさ。「存在の不安と不条理」と説くサルトルの
実存主義に通じるものがある。
当時は、サルトルの実存主義が大流行だった。

1950年、ビュフェは、パートナーのピエール・ベルジュと南仏に古い農場を
借りて住んだ。(ピエール・ベルジュはビュフェと別れた後、イブ・サンローランと
一緒に住み、サンローランブランドを立ち上げた。財界や政治家に知り合いが多い)、


拳銃のある静物  1955年
手紙の内容がなにだったのか?拳銃は手紙の上に置かれている。
手紙を抹殺したいのだろうか。
Buffet_NatureMorte_auRevolver.jpg


コクトーが詞を書き、プーランクが作曲のオペラ「人間の声」の本の
挿絵をビュフェが担当、挿絵(モノクロ)付きの本が展示されていた。


ニューヨーク37丁目  1958年
ビュフェの茶色と黒を基調とした色合いが、ニューヨークの摩天楼を
表現すると、少しレトロになる。この頃から強く太い線描きになった。

Buffet_NY.jpg


個展が成功し、多忙だった年、1959年。
モデルのアナベルと出会い、即結婚。
夜会服のアナベル 1959年

Buffet_Anabel.jpg


1961年、チラシの絵「ピエロの顔」を描く。変装したビュフェの顔?

1962年、マルセイユのオペラ座の「カルメン」の舞台装置と衣装を頼まれた。
とても個性的な衣装で評判になった。モデルはアナベル。
「カルメン」 1962年

Buffet_Carmen.jpg


小さいミミズク 1963年

このミミズクは、赤ちゃん?毛も体も未発達。目がかわいい。
ビュフェは、カブトムシや蝶を観察して、精密に描いている。
それらも展示されていた。
背景に薄いブルーが使われているのは。珍しい。
Buffet_Awl.jpg


赤い花 1964年 
非常にダイナミック。
Buffet_FleurRouge.jpg


1972年から写実的な風景画の連作にとりかかる。これまでと異なるアカデミックな
表現で描かれている。
ぺロス=ギレック 1973年

Buffet_Keshiki.jpg


1980年代からビュフェは、私生活上での悩みが多くなり、苦悶の表情の自画像や
グロテスクと私には思える骸骨の絵があった。
その後、パーキンソン病で体が不自由になり、絵も描けなくなったので、自ら
命を絶ったのが最後である。


全部で作品数は80点。回顧展なので、ほぼ年代順の展示。
説明もわかりやすいので楽しかった。1時間ほどで気楽に見れる。


追記:若い頃のビュフェのパートナーだったピエール・ベルジュは、のちに
サン・ローランのパートナーとなり、ブランドを立ち上げた。サンローランと
共に築いたフランス絵画やアンティークのコレクションは質の高さで話題になった。

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