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昨年のリヒテンシュタイン展とハプスブルグ展 [展覧会(西洋画)]

携帯の写真を遡って見ていたら、昨年12月にBunkamura の「リヒテンシュタイン」展で
撮った写真があった。撮影可の一部屋があったからである。


1、「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝」展 Bunkamuraザ・ミュージアム

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チラシの花の絵の作者は、19世紀前半オーストリアの重要な画家ヴァルト=ミュラー。
中国風の花瓶はウィーン窯のもの。
こ花の絵も素晴らしいが、他にも綺麗な花の絵が金色の額縁に入って輝いていた。
「バラと杏のある静物」

Lihiten2.jpg


バラの絵と同じくヴァルト=ミュラー「赤と白の葡萄と銀器」

Lihoiten4.jpg


同じくヴァルト=ミュラー「ハルトシュタット湖の眺め」

ヴァルトミューラー_ハルシュタット湖の眺望400.jpg


絵だけでなく、ティーセットや飾り皿などもあった。
Lihiten3.jpg


2012年に国立新美術館で見た「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝展」の
ほうが、絵画は良いものが揃っていた。


(2)ハプスブルグ展 西洋美術館

Hbsburg2019.jpg


こちらのハプスブルグ展も2012年に国立新美術館で見た「THE ハプスブルグ」展
の方が私には、良かった。
家系図のおさらいには、今回の方がよい。ミュージカル「エリザベート」の上演で
ハプスブルグ家は、マリー・アントワネットの他に、エリザベートでも有名になり、
会場には、ミュージカルファンらしい若い女性が大勢いた。

ハプスブルグ家は、私はあごの長い神聖ローマ帝国の「ルドルフ2世」。
アルチンボルドの描いた「ルドルフ2世」。
pic_exhibition_1.jpg

スペイン系のハプスブルグ家は、オペラ「ドン・カルロ」のモデルであるフェリペ2世
の頃が黄金時代だった。

ベラスケスを宮廷画家にしていた「フェリペ4世」
フェリペ4世.jpg


ベラスケスが、描いたフェリペ4世の娘が「王女マルガリータ」、チラシの絵。
マルガリータは、オーストリアのレオポルド1世の王妃となる。

2代後が、女帝マリア・テレジア
マリア・テレジア.jpg


娘、マリー・アントワネットは、フランス王ルイ16世の王妃となる。
アントワネット.jpg



オーストリア王のフランツ・ヨーゼフ1世
ウィーン美術史美術館を建設した。
フランツヨーゼフ1世.jpg


王妃エリザベートの美貌は有名である。

ダウンロード (2).jpg


1400年から1800年半ばまで栄華を誇ったハプスブルグ家。ルドルフ2世から始まり美術品
蒐集が趣味の王様が多かったので、膨大な美術品を持っていた。それらの多くは、
ウィーンの美術史美術館に保存されている。この展覧会は、オーストリアと日本の
国交150周年を記念して、時代ごとの美術品が約100点展示されていた。



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昨年の9月は(1) フィンランド女性画家展など [展覧会(西洋画)]

週末になったけど、今年は、どこへ行くでもなく、読書や家事、片付け。
これも嫌ではないけれど、昨年の9月は、楽しく外に繰り出していたっけと思い出す。
スマホに残っている写真から、あの日は、ブラピとディカプリオの話題の映画
「ワンス・アポンナタイム・イン・ハリウッド」(Once upon a time in HollyWood)
を見に行ったと記憶がよみがえる。
タランティーノ監督らしい展開。レオ様が売れなくなった俳優でブラピが付き人兼スタント
という設定。二人で組んで仕事をしている。隣にポランスキー監督とシャロン・テートが
引っ越してきて、、60年代のハリウッド。2人の家のそばにヒッピー村があったり、
ブルースリーが活躍中だったり、と、懐かしいものだらけで面白かった。ブラピはこの演技で
アカデミー賞、助演男優賞を取った。

9月Cinema.jpg

映画は、六本木で見たので、夕食は六本木ヒルズで。以前、時々行っていた中華が、改装の際、
撤退したので、中華は、ピャオシャンが入ったとのこと。私たちのお気に入り、ピャオシャン
なので、早速行ってみた。
インテリアはこんな。写真を撮ったのは、お料理が来るまでの待ち時間が長かったから、
退屈してのこと。
料理の皿とこの柱、雰囲気が似ている。
ここのよだれ鶏は、かなり辛いので同行の友だちのお気に入りなので、必ず頼む。
私は、黄ニラと海老の春巻きをいつも頼む。
写真がこれで終わりなので、この後、何を頼んだのかは不明。

9月ピャオシェン.jpg


9月ピャオシェン3.jpg




その数日後、「モダン・ウーマン フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展
誘われて行った。「松方コレクション展」を開催中の西洋美術館で同時開催。
つまり松方のチケットで、その日のうちなら見れるのだが、絵が好きな女友達は、
「ヘレン・シャルフベックの絵をもう一度、見たいから」と、松方展なしでの再訪。

チラシは、↓ だが、この絵「占い師」はシャルフベック展で見た絵。


2019modernwoman_HelenS.jpg


日本とフィンランドの外交樹立100周年を記念しての展覧会で、5人の画家と2人の
彫刻家の作品を紹介している。ヘレン・シャルフベック、マリア・ヴィークの
絵が多く、次にエレン・テスレフ、ロダンに学び助手も務めたフォルセルスの彫刻
は、勢いがあった。(会場内は撮影可)


ヘレン・シャルフベックの「シルクの靴」1938年 リトグラフ
「なんて可愛いの!」
前回の展覧会では、リトグラフはなかったので、イラストのようなタッチの作品に
眼を奪われる。シャルフベックは、美術商のステンマンから勧められ、75才で初めて
リトグラフに取り組んだ。

9月フィンランド絵.jpg

これは代表作「回復期」のリトグラフ版。1938年
リトグラフなので、回復期の絵と反対向きになっている。

9月フィンランド絵3.jpg


マリア・ヴィーク「教会にて」1884年
マリア・ヴィークは、シャルフベックと同時代人。パリのアカデミー・ジュリアンに1875年
から5年間の間に2度学ぶ。当時、フランスの官立美術学校は女性の入学を許可していなかった。
肖像画に定評がある。
「教会にて」1884年
Finland_マリア・ヴィーク「教会にて」.jpg


代表作ともいわれる「ボートをこぐ女性、スケッチ」1892年
まばゆい光。湖の水面もキラキラ輝いている明るい絵。

Finland_マリア・ヴィーク「ボートをこぐ女性」.jpg


エレン・テスレフ「装飾的風景」1910年
右下に人物がひとり。エレン・テスレフもパリに留学したが、象徴主義の時代になって
いたので、このように斬新な作品。色合いが独特。
finlandエレン・テスレフ.jpg

ヘレン・シャルフベックの作品は、芸大美術館の展覧会で見た絵が多かったが、
彼女の絵の技量の確かさ、女性らしい優しさ、自分独特の世界は何回見てもいいなと思った。



夜ごはんは、西麻布の「マキノ」で。<この店は閉店しました。>
この店は、月替わりのコースのみ。
9月のコース、最初の一皿は、お月見に見立てての前菜。和食とフレンチのコラボ
のお料理なので、ロワールの白ワイン「サンセール」を頼んだ。


9月マキノ.jpg


次の皿は、ステーキをスライスしたものと、熱々のキャセロール。
中身は何だったのか。。
9月マキノ2.jpg


と、楽しい一日だった。

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ピーター・ドイグ展 [展覧会(西洋画)]

近代美術館へ「窓展」を見に行った時、次回予告のポスターが貼ってあったのが、
「ピーター・ドイグ展」だった。
霧の中から現れたような夜景。きれいなブルー、真ん中にアンリ・ルソー風の人2名。
手前の靄、湖の向こうの靄、何があるんだろう。童話の世界のように幻想的。
不思議な魅力。

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さて、そのピーター・ドイク展、始まってすぐに、コロナ対策で閉館。
7月末に再開し、10月11日まで開催中。


ドイグは1959年、スコットランド生まれ。トリニダード・トバゴとカナダで育ち、
ロンドンの美術学校で学んだ。
1994年に英国で現代アーティストに贈られる「ターナー賞」にノミネートされて
以来、注目され、作品「のまれる」は、2015年、約30億円で落札された。
これが、「のまれる」1990年 197㎝×241㎝
水辺の景色で、明かりが映ってるので夜なようだ。しかし、映り込みのほうが
大きいとは不思議、しかも中央に小さなボート。厚塗りで重厚な画面だが、
白が動きを感じさせる。私には、木やボートの形がジグソーパズルの一片に
見え、かわいい。

Doig_のまれるw.jpg


作品は、どれも大きい。
会場内は撮影OK. とても空いていたので、人が映る心配がない。

最初の作品は、これ。「街のはずれで」1986~88年
大学卒業後、ドイグは、当時流行のバスキアやシュナーベルふうのスタイルで、
都市をテーマにしたものを描いていたが、1986年に10代を過ごしたカナダに
戻ると、カナダで過ごした経験が自己を形成していると気づき、以後、カナダ
の自然に主題をおく。
右端、一本の木につかまっている男は、森に入ろうとしている。
力強い眼差しで、向かう先の森を見ている。木の形がムンクふうとのこと。


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「天の川」1989~90年
画面の下、3分の1に天の川が見える夜空が映り込んでいる。
けれども、映り込みのほうが、鮮明なのは不思議。さらに中央に白いボート。
現物を見ると、ボートには人が乗っていて、腕がだらり、、と見える、死んでる?
こんな静かな夜、美しい水面、、事件性を感じさせるなにか、、秘密めいている。

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さらに事件性をおびてくるのが、隣のこの絵。「エコー湖」1998年
後ろにパトカーが止まり、恐怖で顔を押さえた男が湖を見つめる。
私には、昔、はまった「ツイン・ピークス」の世界だが、
映画「13日の金曜日」の引用なのだそう。まさに映画の1シーン。

Doig2w.jpg


ブロッター(吸墨紙)1993年
かなり大きな絵。
画面の上部には森。中段が真っ白な積もった雪。下段の凍った水面。
これらが、全部、薄紫色で包まれているので、全体の色彩が美しく、静かな
世界。氷面にいる男は、水面に映る自分を眺めている。氷なのに映る?と
思ったら、水の波紋が描かれているので、水面。これも不思議さが残るが、
きりっとした冬景色に一人立つ男は何を見つめているのだろうか。

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「ロードハウス」1991年
きちんと3分割された画面。この空とこの景色は、色の統一がないように見えるが、
不思議に溶け込む。下の水面のような部分も合うような合わないような。。
バーネット・ニューマンの「3つの色の帯」の色部分を各々、風景に置き変えてみたのだそう。

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打って変わって明るい画面。
ドイグは、カナダの前は、カリブ海の島国「トリニダード・トバゴ」に住んでいた。
そこの景色。
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初期に比べ、絵具は薄塗で、画面全体が明るくなってきた。
「オーリンMKIV Part2」1995~96年
OLINスキー板の広告。むかーし、憧れのOLIN. 007で、ボンドが履いていたスキー。
格調高いオーリンのイメージでないのが面白い。
ジャンプする人と下にいる人々の大きさが、、ん?逆。この美術館所蔵のアンリ・ルソー
「アンデパンダン展への参加を呼びかける自由の女神」に似た構図。

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「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」2015年 
3mある大きな絵。左端にいる人は影のような扱い。そしてライオンの頭の辺り、
足の辺りにも影が描きこまれている。影の扱いについては、いろいろな工夫が
なされているようだが、私は解明できなかった。
   注)ポート・オブ・スペインはトリニダード・トバゴの首都
Doig_Lion22.jpg

昨年の作品。
「2本の木(音楽)」2019年
この絵のところは明るい。影絵で見えているのは音楽士。キャンパスに軽い金属製の
ストレッチャーフレームを使っているので、光を当てると、絵の具が透き通って見える
そうだが、確認はできなかった。
「シグマー・ポルケの透明な支持体から見え隠れする構造に感銘を受けた」とドイグは
語っているそうだ。

Doig_2Trees.jpg


ドイグは映画も好きで、トリニダード・トバゴ時代には、無料映画会を行っていた。
ポスターは全部、手作りだったので、それらが最後、廊下に展示されていて、
面白かった。スターの似顔絵のようなもの。北野武監督の「座頭市」や「花火」もあった。

[ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]

いろいろなものを組み合わせての表現、いろいろな作家たちからインスパイアされて
新しいものを創っていくドイグ。何からインスパイアされたのかが、もっとわかったら、
さらに興味が広がったと思う。
どの作品も楽しいので、こういううっとおしい時期には、おすすめの展覧会です。

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ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 [展覧会(西洋画)]

東京・上野の西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナルギャラリー展」へ行った。
この展覧会も3月に開催されたが開始後、数日でコロナウィルス感染予防のために閉館。
会期を延期して再開したが、密になるのを避けるため、入場は事前予約制。
混んでいて、無理だと思っていたのに、休みだった平日、予約サイトを見たら夕方
4時半だけがあいていた。速攻、ネットで申し込み、出かけた。
西洋美術館.jpg

人数が制限されているので、会場内はゆったり。
話し声もなく、足音だけが聞こえる。
一番最初の絵は、ウッチェロの「聖ゲオルギウスと竜」1470年頃。
これと同じタイトルの絵をパリのジャックマール・アンドレ美術館で見たので、「おやっ」と
注目。あちらは、もっとおどけて漫画っぽかったけれど、この竜は留めをさされた後で
痛々しい。ウッチェロは馬の描写で名声を高めたそうだ。

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次は、私の好きなドメニコ・ギルランダイオの「聖母子」。1480~90年頃
ギルランダイオは、15世紀後半、フィレンツェで最も多作で人気だったので、
若き日のミケランジェロは、ギルランダイオに板絵とフレスコ画の手ほどきを受けた。
ギルランダイオは絵画技法を熟知していたので、年数を経た今も絵は色褪せず、光の
様子やイエスとマリアを結ぶ銀色のヴェールの繊細さが美しい。(テンペラ画)
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ティツィアーノ「ノリ・メ・タンゲレ」1514年頃
「ウルビーノのヴィーナス」で有名なティツィアーノの若き日の作品。
イエスの墓が空になっていたのに驚いたマグダラのマリアは、遺体を探そうと
走りだし、この男に出くわした。衣服をつかんで、「私の主の遺体を探すのを手伝って
ください」と頼むと、男は「ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)」と言った。
その声で、マリアは、男がイエスであるとわかったという場面。
背景の風景表現がすばらしい。中央にある木は「知恵の木」を暗示している。
「ノリ・メ・タンゲレ」は、多くの画家が描いている有名な主題。

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次の絵は、ジョヴァンニ・ジョローラモ・サヴォルドの「マグダラのマリア」。1540年頃
マリア続きで展示されているが、このマリアは、夜明け前に墓の前に立つマリアの
振り返りざまの上半身肖像画。頭から被った銀灰色のマントが画面いっぱいで目立つ。
この色の衣服のマリアを見たことがなかったが、当時の北イタリアの良家の女性が
家から出る時の一般的な格好だった。(写真なし)

ティツィアーノの弟子ティントレットの「天の川の起源」1575年頃
ティントレットは生涯をヴェネツィアで過ごした。ミケランジェロの彫刻に魅了され、
スケッチに取り入れてドラマティックな動きを表現した。
赤い布をまとった神ゼウスが妻でない女性に産ませた息子ヘラクレスに神としての永遠の命を
与えるため、神である妻ヘラの乳を吸わせようとした瞬間。寝ていたヘラが飛び起き、乳が
飛び散り、天の川となったという神話に基ずく絵。
ゼウスのしるしの鷲、ヘラのしるしの孔雀がはっきり描かれている。


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以上は、第一室:イタリア・ルネサンス絵画から、気に入ったものを選んだ。


第二室は、オランダ絵画の黄金時代
1、レンブラント「34才の自画像」1640年(写真なし)
2、フランス・ハルス「扇を持つ女性」1640年頃
フランス・ハルスは、表情を捉えるのが実に上手い。一度見たら忘れられない表情の
「笑う少年」をはじめ、笑っている顔が多いが、「扇を持つ女性」は、きりっと美しい。
レースの三段襟、袖口、銀色のリボンなどの描写が素晴らしい。マネがハルスに魅了
され、作品を模写したというのも頷ける。


3、ヤン・ステーン「農民一家の食事」1665年頃(写真なし)
シャルダンの「食前の祈り」に似ているが、シャルダンの方が後の時代なので、
この絵を参考にしたのだろうか。こちらに視線を向ける男の子や、足元で鍋をなめる
飼い犬が気になった。

4、フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女性」1672年頃(写真なし)
この絵とほぼ同じタイトルの絵が、2008年都美術館での「フェルメール展」に来日した。
同じように小さな絵だったが、人物が違う。(2008年の記事の絵を参照)
今回の少女は生気がなく感じられ、前回の女性の方が魅力的。
ヴァージナルには風景画が描かれ、装飾も施されていた。高価な楽器だったのだろう。


5、ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ「ロブスターのある静物」1659年(写真なし)
写実画の技巧に眼を見張る絵。レーマーグラスへの映り込みまでで丁寧に描かれていた。


第三室は、ヴァン・ダイクとイギリス肖像画

1、ヴァン・ダイク「レディ・エリザベス・シンベビーとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー」1635年頃
ヴァン・ダイクはベルギーのアントワープの生まれで、ルーベンスの工房で働いていた。
英国、イタリアに滞在の後、英国王チャールズ1世の宮廷画家となりナイトの称号を授かった。
姉妹2人、新婚のサフラン色のドレスの妹がキューピッドからバラの花籠を受け取っている。
姉(左側)は、純潔を表す白いドレス。2人のドレスのシルク、真珠の耳飾りが素晴らしい。
一般に、2人が同等の肖像画は難しいので、ヴァン・ダイクの技量の高さが伺える。
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2、ジョシュア・レイノルズ「レディ・コーバーンと3人の息子」1773年
サー・ジョシュア・レイノルズはこの時代、傑出した肖像画家だった。
画業の初期にイタリアで学び、古典的な彫刻や絵画から構図を学び、壮麗且つ生き生きと
した画風で、貴族階級の顧客に人気があった。
レディ・コーバーンのご主人は准男爵だったが、この絵が描かれた3年後に破産。
しかし、ここに描かれた3人の息子は、陸軍大将、海軍大将、首席司祭となった。
立派ですね、レディ・コーバーン。
母と3人の息子という日常的な主題に非日常性をもたせるために、裏が毛皮で裾に
金の刺繍があるマントをはおらせ、自信作ゆえ、刺繍部分に自分の名前を入れた。

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3、トマス・ゲインズバラ「シドンズ夫人」1785年
英国の肖像画家で一番好きなのは、ゲインズバラ。優美さこの上なし。
シドンズ夫人は、有名な悲劇女優であった。
ゲインズバラ「シドンズ夫人」.jpg


4、トマス・ローレンス「シャーロット王妃」1789年(写真なし)
トマス・ローレンスは、ジョシュア・レイノルズに才能を見出され、ジョージ3世の
主席宮廷画家となった。シャーロット王妃はジョージ3世の妻。ウィンザー城の窓辺で
椅子に座る姿で描かれている。窓の向こうに白いイートン校の建物が見える。


第四室は、グランド・ツァー

グランド・ツァーとは大旅行のこと。18世紀はイタリア旅行がブームだった。
1、カナレット「ヴェネツィア 大運河のレガッタ」1735年頃
カナレットはヴェネツィア生まれの画家で、一番人気の景観画家だった。
レガッタは、毎年カーニバルの期間中に開催され、黒のケープに白のマスクと
いう姿の観光客でにぎわった。この絵はレガッタのゴールが遠くに見えるよう
遠近感を工夫して描かれている。
英国のお金持ちは、ヴェネツィアの旅で絵を注文し、お土産として持ち帰った。

Canaletto.jpg


2、フランチェスコ・グアルディ「ヴェネツィア:サンマルコ広場」1760年頃(写真なし)
カナレットの次に人気だったのは、フランチェスコ・グアルディである。
正確な表現のカナレットに比べると、かすかに霞みがかり、ヴェネツィアの景観
と雰囲気を伝えている。この表現は、ターナー、モネに影響を与えた。


第五室は、スペイン絵画の発見

スペイン絵画で18世紀に英国で人気があったのは、ムリーリョだった。
ゴヤ、ベラスケスが人気になるのは、19世紀になってからである。
1、ムリーリョ「幼い洗礼者聖ヨハネと子羊」1660年~1665年
ムリーリョの描く少年は目が大きく愛らしいと、人気で模写版画が出回った。
ムリーリョは、セビーリャで宗教画家として活躍した。プラド美術館にある
「無原罪の御宿り」は気品ある美しい絵で私は気に入っている。

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2、ゴヤ「ウェリントン公爵」1812年~14年
ウェリントン公爵は、スペインからフランス占領軍を追い出した功労者である。
ゴヤのスペインの民衆によるフランス軍への蜂起の絵「1808年5月」は、
フランス占領時代のものである。
この肖像画は、戦いが終わった直後に描かれたので、功を成し自慢気というより
戦い終わったあとの安堵感と疲れが表情に見えている。
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3、エル・グレコ「神殿から商人を追い払うキリスト」1600年頃(写真なし)
エル・グレコは、この主題の絵を何枚も描いている。
神殿は祈りの家であるのに、そこで商売をするのはとんでもないと、ムチで
商人たちを追い払うキリストは、グレコの特徴で細長く描かれている。


4、ディエゴ・ベラスケス「マルタとマリアの家のキリスト」1618年頃
ベラスケスは宮廷画家になる前、若い頃は、風俗画をたくさん描いていた。
聖書のシーンを農民の台所に置き換えている。老人が指さしているのは聖書の
「マルタとマリアの家のキリスト」の場面。ニンニクをつぶすという単調な作業を嫌々
やっている女性へのいましめ。当時は、細かくつぶしたニンニクと(壺に入ってる)
オリーブオイルを混ぜたものを魚にのせて食べてたのだろう。

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5、フランシスコ・デ・スルバラン「アンティオキアの聖マルガリータ」1630~34年
スルバランは、セビーリャで修道院や聖堂を飾る絵をたくさん手掛けたので、
「修道僧の画家」ともよばれている。アンティオキアは現在のトルコ。
殉教した伝説の聖人だが、スルバランは、羊飼いのマルガリータに素敵な衣装を着せている。
子羊の毛皮のチョッキ、襟や袖のレース、バッグはアンダルシア地方のものである。
等身大以上の大きな作品。
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第六室は、風景画とピクチャレスク

18世紀後半、英国では風景画が流行した。
1、ニコラ・プッサン「泉で足を洗う男のいる風景」1648年頃(写真なし)
木々の葉が涼しい日陰を作り、冷たい水の湧き出る泉、道が遠景へとつながる
理想的な景色。
2、クロード・ロラン「海港」1644年(写真なし)
黄金色の光に包まれた古代ローマの建物、凱旋門をモチーフに古代風の理想化
された風景を描いている。
3、ヤーコブ・ファン・ロイスダール「城の廃墟と教会のある風景」1665~70年頃
(写真なし)
画面の半分以上が雲におおわれた空というオランダの平坦な景色。ほぼ中央に教会、
前景に廃墟となった城があり、雲間からの光が教会や城を照らす。実在する場所で
なくロイスダールが作った景色である。
以上3名、17世紀のの英国人でない画家が描いた理想の風景が、英国の風景画に
取り入れられる。
4、トマス・ゲインズバラ「水飲み場」1777年以前(写真なし)
大きな木々に囲まれた水たまりに山羊や牛が集まってきて水を飲んでいる。横180センチの
大きな風景画。肖像画家として名をあげた後の作品。これも実在する場所でなく、
ルーベンスのスタイルを倣い構成された風景。

5、ジョン・コンスタブル「コルオートン・ホールのレノルズ記念碑」1833~36年
コンスタブルはターナーと並んで、19世紀英国を代表する風景画家。
これは実際の風景。コルオートン・ホールにジョシュア・レイノルズの記念碑を建てた
男爵からの依頼で描いたもの。記念碑の手前左には、レイノルズが尊敬していた
ミケランジェロの胸像、右には、ラファエロの胸像が見える。

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6、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス」
1829年
朝やけの光におおわれた幻想的な風景。横2mの大きな絵。

洞窟に閉じ込められたギリシア神話の英雄デュッセウスが、巨人ポリュフェモスの
眼をつぶして洞窟から脱出。船に戻り、赤いマントを着て両手を上げ、巨人を嘲る。
巨人は船に覆いかぶさるようにシルエットで描かれている。
この写真では小さくて詳細が見えないが、光の素晴らしさはわかると思う。

Turner400.jpg



第七室は、イギリスにおけるフランス近代美術受容

英国の画壇は保守的だったので、本格的にフランスの絵画が収集されるように
なったのは、20世紀になってからである。

1、アングル「アンジェリカを救うルッジェーロ」1819~39年
アングルは同名の絵を何枚も描いているので、制作年代が長くなっている。
岩につながれた中国の姫アンジェリカが海獣のえじきになろうとする瞬間、
騎士ルッジェーロが救出に馳せ参じる場面である。アンジェリカのねじれた
ポーズが印象的。

ドガが某伯爵の売り立てで購入し、所有していた。
Engrid350.jpg


2、カミーユ・コロー「西方より望むアヴィニヨン」1836年
コロー40才の作品。明るいプロヴァンスの光。画面半分は空。教皇庁が画面
中央に見え、左側にローヌ川とアヴィニヨンの橋が見える。右側の1本の木が
アクセントになっている。
Collot_Avinigon.png


3、アリ・シェフェール「ロバート・ホロンド夫人」1851年
ホロンド夫人は、気球乗りとしても有名だった英国の政治家の妻。教養豊かな
著述家、慈善家でロンドンに初の託児所を設立した。毎年、定期的にパリに
滞在しサロンを開催、ここでアリ・シェフェールとも知り合った。
新古典主義の画風で、楕円形の絵、ローマの貴婦人を思わせる。頬杖をつき、
物憂げなようすは、メランコリー、芸術家の気質を表すものである。
青、白、赤の三色使いは、フランスに因んだものだろうか。
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4、アンリ・ファンタン・ラトゥール「ばらの籠」1890年(写真なし)
花のラトゥールなので、いつもながらに美しい。

5、カミーユ・ピサロ「シデナムの並木道」1871年(写真なし)
普仏戦争を避けてロンドンに住んだ時代に描いたロンドン郊外の街並み。

6、オーギュスト・ルノワール「劇場にて(はじめてのお出かけ)」1877年
「はじめてのお出かけ」と副題通り、少女は初々しい。すてきな帽子を被り、
手に花束を持ち、熱心に舞台を見ている。一方、下の方には劇場慣れし、で
くつろぐ人たちが見えるが、印象派らしいラフなタッチで描かれ、少女を
クローズアップさせている。
ルノワールは、劇場での絵をたくさん描いていて、コートールド美術館展
での「桟敷席」が記憶に新しい。コートールド氏は、もっと印象派の絵を買う
ようにとナショナルギャラリーにお金を寄付、この絵が購入された。
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7、エドガー・ドガ「バレエの踊り子」1890年~1900年(写真なし)
稽古場でバレエのレッスンにいそしむ踊り子たち。前景の踊り子は足を長椅子の
上にのせ、シューズを履きなおしている。

8、クロード・モネ「睡蓮の池」1899年(写真なし)
モネの庭、睡蓮の池にかけられた太鼓橋の絵。

9、フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」1888年
この展覧会のチラシやポスターに使われた絵。
ゴッホは、アルル時代に花瓶に挿したひまわりの絵を7点描いたが1点は焼失。
そのうち、自筆サインを入れた自信作は2つ。これと、ドイツのノイエ・ピナコテーク
のものである。

Gogh350.jpg


10、ポール・ゴーガン「花瓶の花」1896年
花があふれんばかりに活けられているが、暗い感じがするのは、青い花があり、
黒い花瓶で、テーブルがこげ茶色だからである。その上、テーブルに花びらが
落ちている。タヒチで生まれた子供が亡くなり、貧乏暮らしも重なり、絶望の
時だった。
gauguin270.png




11、ポール・セザンヌ「プロヴァンスの丘」1890~92年頃(写真なし)
晩年のセザンヌは、プロヴァンスの原始の地層に興味を持ち、光に照らされる
岩石をいろいろ描いた。
この絵も丘を背景に、左から右へと斜線を構成しながら続く樹木、中景の岩場の
群れがバランスをとっている。


★(写真なし)の絵は、公式HPで見れます。

mozさんの「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」記事で、ここに載せていない絵の
写真が見れます。


★★
全部で61点。見る価値がある逸品揃いで、すごいです。
展示は、ルネサンスから始まる年代順なので、美術史の流れになっています。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、1824年に設立され、王室コレクションでなく、
市民の寄贈によって、作られました。今まで、1,2点の貸し出しはしても
一度に多くの作品を貸し出したことがないので、見る価値があります。
10月18日まで。


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津田青楓展 [展覧会(西洋画)]

練馬区立美術館で開催中の「津田青楓展」に行った。
Tsuda_Entrance.jpg
津田青楓って?と知らない人が多いと思う。
私が津田青楓を知ったのは、2013年、芸大美術館での「夏目漱石の美術世界展」でだった。
青楓は漱石と親交があり、
漱石に絵を教え、本の装丁を頼まれた。
漱石のお嬢さんを描いた絵も展示されていて、活発で愛くるしい姿が印象に残っている。

この展覧会に行こうと思ったきっかけは、2月に行った国立近代美術館での「窓展」で、
見た津田青楓の絵2点「ブルジョワ議会と民衆生活」(下絵)と「犠牲者」が、ちょっとした
衝撃だったからである。漱石展で見たモダンなデザインや明るく笑っているお嬢さんの
肖像画とは、あまりにも懸け離れた絵だった。
絵の横の説明書きに、「青楓は、プロレタリア運動に加わり、小林多喜二の虐殺を描いた
この作品で、特高警察に逮捕、半月間拘留された。」と書いてあった。
何という心境の変化。作風の変化。。津田青楓に俄然、興味を持つようになった。
この絵は、十字架のキリスト像に匹敵する作品にしたいとの意図があったので、
拷問で吊るされている男と左下の鉄格子から見える国会議事堂を対比させている。
Tsuda_絞首刑.jpg



津田青楓は、1880年生まれ、今年が生誕140年になるので、回顧展である。
明治、大正、昭和と3世代にわたって活躍し、画風も変わって行った。


生まれは京都。華道家元の次男。京都市立染色学校に入学。絵を谷口香嶠に
習う。谷口は幸野 楳嶺の弟子で、展示されていた「紫裾濃大鎧図」は気品が
あり美しかった。日清・日露戦争に看護士として従軍。戦地でのスケッチもあった。
染色学校を卒業後、京都高島屋の図案部に勤務しながら、関西美術院の夜間部
で学び浅井忠に師事した。
「うづら衣」という図案集を刊行。

「うづら衣」に掲載した
図案がこれで、ちらしやポスターに使われている。

Tsuda_うづら衣.jpg

これも「うづら衣」図案集より

Tsuda_うづら衣より.jpg
どの図案も、色が明るく綺麗だった。


青楓は、高島屋の推薦で、農商務省の海外実業実習生としてパリに留学。安井曽太郎は
私費で留学、一緒にアカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスに師事した。
歴史画家ローランスの大きな絵「ピエトロ」が展示され、圧倒的で目立っていた。
横に安井曽太郎の「グレー風景」1908年も展示されていたが、師とは技量が違う。

パリには3年ほど滞在したが、同時期、パリにいた高村光太郎の話によると、当時
流行のフォーヴィスムには目もくれず、ルーヴル美術館の古代エジプトやギリシア美術に
関心を示していたそうだ。

青楓による漱石の「草合」の装丁だが、松に鶴。鶴がエジプトっぽく見えるのは、
パリ時代の影響だろうか。

Tsuda_草合.jpg


パリ時代の作品展示は一点だけで、「MON BEBE」(My baby).
女子美卒で文部省留学生としてパリに留学経験のある洋画家山脇敏子と結婚していたので、
2人の赤ん坊だろう。


帰国後、漱石との交流が始まった。
漱石は長らく本の装丁を橋口五葉に頼んでいたが、五葉が亡くなったので(注)、「道草」
の装丁を青楓に依頼した。(注)後年の研究から、実際は亡くなっていなかったと判明
漱石との交流は、漱石が亡くなるまで、5年間続いた。
tsuda_道草装丁.jpg


1914年、文展(現・日展)に反発して結成された二科会の創立メンバーとなる。
二科会
は会員数も多く活発で、青楓は画壇の中心人物だった。
この頃の作品「夫人と金糸雀鳥」1920年(国立近代美術館蔵)
モデルは当時の妻、山脇敏子。パリを思わせる背景の壁紙、椅子、服装。
斜めに座る構図で、視線の先に黄色い金糸雀鳥(カナリア)がいる。
安井曽太郎の代表作「金容」1934年も斜めに座る構図で青い服と思い出す

Tsuda_婦人と金⑷.jpg



さらに1926年、京都で津田洋画塾を開き、後進の指導をした。
津田洋画塾主催の「洋画展」には、古賀春江、東郷青児、安井曽太郎らが作品を出した。
洋画塾の
弟子でシュルレアリスム作家の北脇昇、オノサト・トシノブの作品が展示されていた。

京都に活動の場を移した青楓は、マルクス主義者の河上肇と交流を深め、社会主義に傾倒
していく。そして、前述の絵「犠牲者」を描いたことによる逮捕、取り調べの後、
プロレタリア思想からの転向を誓約して、開放された。これ以後、油彩を断念、二科会
から脱退した。かなりのショックだったと伺える。


青楓は、政治性のない日本画の南画を始める。最初の師、谷口香嶠から日本画、掛け軸
などを学んでいるので、難しいことではなかったと思う。さらに、漱石が南画風山水の絵を
描き、書をたしなんでいたことからの影響もある
だろう。


若い頃でも、このような作品を描いていた。
「お茶の水風景」1918年
中央、遠くにニコライ堂のドームが見え、神田川には櫓で舟を漕ぐ人の姿がある。
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晩年は良寛に傾倒していく。良寛の書に学んだ青楓の書も展示されていた。
私はこの辺りの作品には、あまり興味がなかったので、さくっと見たが、
まさに、明治、大正、昭和、と3世代を画風を変えながら生きた津田青楓であった。


★4月12日まで。他の美術館が軒並み休みの今ですが、土日以外は開館中です。
急に変更の場合もあるので、サイトでご確認ください。https://www.neribun.or.jp/museum_new/detail_m.cgi?id=202003271585300170


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ハマスホイとデンマーク絵画展 [展覧会(西洋画)]

「ハマスホイとデンマーク絵画展」は、1月21日から3月26日まで東京都美術館で開催
予定だったが、コロナウィルスの感染防止拡大のため、期日前に閉幕してしまった。
4月7日からは、山口県立美術館で開催される。
閉幕前、20時まで開場という日に行っておいてよかった。

「ちらし」やポスターに使われているのは、この絵。
静けさが伝わってきますか?
絵の具も薄塗りのなので、さらっと日常を切り取った感じ。
モデルは妻、棚の上の食器は、ロイヤル・コペンハーゲンのもの。
「背を向けた若い女性のいる室内」1903年
hハマスホイ_室内.jpg


ハマスホイの展覧会は、これが初めてではない。
2008年に西洋西洋美術館で開催され、その時は、ハンマースホイだったが、
最近、名前はその国の言語に近い表記をするので、ハマスホイに変わった。
なんと2008年のときも同じく、この絵がチラシに使われていた。

2008年展は衝撃的だった。初めて見るハマスホイの作品だったが、自宅の
誰もいない室内ばかり。時々、人がいても後ろ姿ばかり。静寂も当然なのだが、
そこに抒情があり、詩情があるので、惹きつけられた。
行く前には、ハンマースホイという名前が覚えられなくて、何回も間違え、
友達にあきれられたが、帰りには、好きな画家として記憶できた。

今回のタイトルは「ハマスホイとデンマーク絵画展」なので、最初の3室は
デンマーク絵画。最後の4室めだけがハマスホイ部屋。
ハマスホイはまだ?と思いながら見た第一室は、風景画が中心。
風景画は好きなので、いつのまにか熱心に見ていた。
「海岸通りと入江の風景、静かな夏の午後」1837年
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デンマーク黄金時代の画家コンスタンティーン・ハンスンの
「果物籠を持つ少女」1827年頃
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この絵はハマスホイが所蔵していて、実際、室内画の中で描かれている写真があった。


第2室に入ったとたん、絵の大きさと明るさに驚く。
フリッツ・タウロウの「スケーインの海岸」1879年
デンマーク北端の漁師町「スケーイン」、手つかずの自然が残るこの地に画家たちが
集まって来て、働く漁師や光あふれる海を描き、スケーイン派と呼ばれるようになった。
写真はないが、ミケール・アンガ「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年 
は、大きな画面いっぱいに海難救助に向かう漁師たちが描かれ、緊迫感が表情から
すぐにわかり、見る側も緊張してしまった。
オスカル・ビュルク「遭難信号」、窓から海を覗きこむ夫婦。映画の一場面のような絵
も印象に残った。

 同じくミケール・アンガなのに、印象派のような構図と光で、こんな穏やかな絵も。

「スケーインの北の野原で花を摘む少女と子供たち」1887年
hoi_あんが.jpg

ミケール・アンガの妻、アナ・アンガは室内画で、漁師町の日常を描いている。
「戸口で縫物をする少女」 1879年 (写真なし)
やさしい穏やかな絵。

私がいいな!と思ったのは、ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの
「スケーイン南海岸の夏の夕べ アナ・アンガとマリーイ・クロイア」1893年
モデルは画家のアナ・アンガと自分の奥さん。人脈がつながっていくのが面白い。


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同じく、P・Sクロイアの季節が違う「9月のスケーイン南海岸」、人のいない海岸。
画面が空、海、砂浜と縦に3分割された画面が印象に残る。
P・S・クロイアのこの絵も日常生活を垣間見る一枚でよかった。
朝食-画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン (真はない)
なんと、P・Sクロイアは、ハマスホイの師匠。



第3室 室内画
この時代、デンマークで人気があったのは、室内画。
デンマークの人たちは、ヒュゲ(hygge くつろいだという意味
)という時間を大切にし、
コーヒータイムをこよなく愛しているそうだ。

ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」1891年
薄暗い室内、ツリーの灯りが輝き、楽しそうな子供たち。

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ヴィゴ・ヨハンスン「春の草花を描く子供たち」1894年
hoi_春の草花を描く子供たち.jpg


ラウリツ・アナスン・レング「遅めの朝食、新聞を読む画家の妻」1898年
家具の色が北欧。画家の妻の後ろ姿。光さす朝の食卓、くつろぎ=ヒュゲなのだろう。
hoi_遅めの朝食.jpg

 

ピーダ・イルステルズ「ピアノに向かう少女」1897年
ピーダ・イルステルズは、ハマスホイの義兄、この少女は、ハマスホイの姪、後ろ姿!
hビーダ・イルステルズ_ピアノに向かう少女.jpg


4、ヴィルヘルム・ハマスホイ
一番上のチラシに使われている絵「背を向けた若い女性のいる室内」の印象が強いので、
私には、ハマスホイ→ 後ろ姿なのだが、初期にはカリエールふうの顔が見える絵があった。
「夜の室内、画家の母と妻」1891年
静かな雰囲気。2人の間には会話がなく、妻は縫物、母は読書。
hハマスホイ_夜の室内 画家の母と妻1891.jpg

その後、1898年、妻の後ろ姿の室内画を制作。
代表作のトップの1903年作品に先駆けるもの。
「室内」1898年

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風景も描いていた。
左:「農場の家屋、レスネス」1900年
右:「室内 開いた扉、ストランゲーゼ30番地」1905年

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ストランゲーゼ30番地は、その時、ハマスホイ住んでいた家の住所。自宅の室内。


風景画も1906年の制作になると、色彩がハマスホイ特有の抑えた色彩。
「聖ペテロ聖堂」1906年

hハマスホイ_聖ペテロ聖堂1906.jpg


ハマスホイの絵を見ることが目的で行った展覧会だったが、2008年の展覧会と
比較すると、そちらに軍配になってしまう。しかし、今回、初めて見たデンマーク「スケーイン派」
の画家たちの絵がとても良かった。ミケール・アンガとピーザ・スィヴェリーン・クロイア、
この2人の名前を忘れないでおこう。

スケーイン派、2017年春に西洋美術館で「シャセリオー展」があった時に、同時開催で、
シャセリオー展のチケットで見れるようになっていた。どうして見なかったのかしら。
お茶に急いだから?シャセリオー展の記事を読み直して、内容豊富だったから時間がなくなった
とわかり、ちょっと安心。


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