ブダペスト展 [展覧会(西洋画)]
主要美術館はみんな休館。
あわてて最終日となる昨日、国立新美術館の「ブダペスト展」へ。
あちこちで良い評判なので、是非、行かねばと思っていた。
ハンガリーで、この絵は有名で、切手にも使われているそうだ。
ブダペストという首都になったと小学校で習った。「豚とペストなんて~」と大笑い
したので覚えている。(以来ずっと、ブタペストと思い込んでいた間違いをInatimyさんに指摘され、
ようやく気づきました)
18世紀末までの作品を所蔵する「ブダペスト国立西洋美術館」と19世紀以降を所蔵する
「ナショナルギャラリー」から、130点が来日した。
第I部.ルネサンスから18世紀まで
1、ドイツとネーデルランドの絵画
●一番最初は、クラーナハの「不釣り合いなカップル 老人と若い女」
狡猾そうな老人が若く美しい女性の体に手を伸ばし、女性は老人の財布を探る。
クラーナハは、このタイトルの絵を40枚描いているそうだ。調べてみたら、
たしかに、ある、ある。8割が財布に手を伸ばしている。
隣には小さな絵で、「不釣り合いなカップル 老女と若い男」
これも老女が財布からお金を取り、若い男にわたしている。
2、イタリア絵画
●フランチェスコ・ヴァンニ「聖家族」1600年頃
パルマ展でのコレッジョのマリアに似た気品と優美さ。俯いた眼差し。
それもそのはず、コレッジョに学び、薄く溶いた絵の具で描くところと、構図も
コレッジョの「授乳の聖母」に似ているそうだ。赤ん坊のイエスは、ヨハネが差し出す
リンゴ(=知恵の実)をつかんでいる。
●ティツィアーノ「聖母子と聖パウロ」 1540年
本と剣を持っているので聖パウロとわかる。大きく描かれた聖パウロが手前にいることで、
絵を見る私たちも一緒に聖母子を見ているような気持ちになる。
バロッチは柔らかな色彩で親しみやすい聖母を描き、当時、人気だった。
マニエリズムからバロックへの架け橋的存在。
まさにバロック。印象的な身振り、迫真の表情。中央の料理長は処刑される夢。一方、
左手の給仕長は牢獄から開放される夢。
するよう、アビラの聖テレサに促す聖母」1749年
縦長の絵。一番高い所に位置するマリアが神々しく美しい。聖母の下には、雲、雲。
ティエポロは、18世紀イタリア絵画随一の巨匠。ヴェネツィア派。
●ヤン・ステーン「田舎の結婚式」1656年
農民の生活や家族風景を描くことが多いヤン・ステーン。フェルメール展や
オランダ絵画展では、作品が展示されていた。
この絵では、大口をあけて笑っている男がほぼ中央にいて目立っている。
自分がモデルだそう。
●エル・グレコ「聖小ヤコブ」(男性の頭部の習作)1600年頃
グレコ本人の自画像と思われていた時代もあったそうだ。細面の顔立ちが
似てる。水色と灰色の混じった幻想的な背景。輝きを放つ緑と赤(ピンク)の衣装。
ゴンサレスはフェリペ3世のお抱え画家。金色のブレード付きの白い服の王子、
黄金の鈴、笛を持ち、サンゴの装飾品。それらは身を守るという言い伝えがあった。
肖像画を頼まれたが、傲慢なカバリューロ候を好きでなかったゴヤは、衣装を
立派に描き、表情に傲慢で冷たい性格を滲ませた。
5、ネーデルランドとイタリアの静物画
●アブラハム・ファン・ベイエレン「果物、魚介、高価な食器る静物」1654年
高価なものをたくさん並べた「見せびらかしの静物画」
6、17-18世紀のヨーロッパの都市と風景
16~17世紀に初めて風景画というジャンルができた。特にイタリアでは
理想の風景が描かれた。
黒チョーク、灰色の水彩、小さなデッサンだが、その丁寧さは、さすがライスダール。
ロイスダールと表記されることもある。17世紀オランダ絵画で最も評価されている。
●ヤン・アブラハムスゾーン・ファン・ベールストラーテン「冬のニューコープ村」1660年代初期
横130㎝の大きな絵。半分から上は雲。空が広く人が小さい。
8、彫刻
机の上に置くような小さい作品ばかりだった。
メッサーシュミット(戦闘機のような名前)の変顔が2点あった。
https://taekoparis.blog.ss-blog.jp/2011-04-22 の一番下にメッサーシュミットの
変顔作品写真があります
1、ビーダーマイアー
ビーダーマイアーは、オーストリアを中心に身近で日常的なものに目を向けようと
生まれた市民文化の形態。絵画は写実で優美。
●フェリーチェ・スキアヴォーニ「お茶をいれる召使い」19世紀中頃
召使をぼかして描くことで、穏やかな優しい雰囲気を出している。
●ムンカーチ・ミハーイ「パリの室内<本を読む女性>」1877年
ムンカーチ・ミハーイは、ハンガリーでは一番有名といえるほどの巨匠。
貴族の女性と結婚後は、室内画で優雅な貴族の生活を描いた。
豪華な室内。タピストリー、壁一面の絵、右側で子供が遊んでいる。
ミハーイは、音楽家とも交流があり、30才以上年が離れているリストともお互いに
尊敬しあっていた。この肖像画が描かれた時、リストは74才で、この4か月後に亡くなった。
チラシに使われている絵。縦1mの大きな絵。
モデルは新婚間もないパールの妻。自然な光の下、ドレスの紫と補色の草緑色。
空のブルーと補色の黄色と色遣いが明瞭。
縦長の大きな絵。高い空、雲の形が面白い、下に向かって降っているかのよう。
青空部分にヒバリ一羽。裸婦が体をもたげて空高く飛ぶヒバリを見つめている。
草原に裸婦はラファエル・コランの「フロレアル」を思い出す。
人形のような顔立ちの若い女性。黒いドレスに白いショール、ウェストの細いことと
言ったら、、男の人は夢中になると思う。
ドービニー、クールベ、コローなどの作品もあった。
●モネ「トゥルーヴィルの防波堤、干潮」1870年
モネの初期の作品。雲に覆われた空と海の水が一体化している。
釣り竿をかざす人と傍らのベンチに座る人。サーモンピンクの帆のヨット。
右端には大きな客船が停泊中。
●グドムンド・ステネルセン「夏至の夜」 こちらに背を向けた男女5~6名が、明るい夜
なので、ダンスをしようとしている。
ベックリン、カリエール作品があった。
●チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル「アテネの新月の夜、馬車での散策」1904年
ティヴァダルはハンガリー人。異彩を放つ絵。メルヘンっぽい。
月あかりがピンク色、白い家が中央に。手前の馬車が黒いシルエットになっている。
モーリス・ドニ、シニャックの作品もあった。
リップル・ローナイ・ヨージェフはハンガリーのナビ派の大家。若い時代をパリで過ごした。
作品には印象に残るものがたくさんあった。ブタペストも行ってみたいな~。
窓展 (窓をめぐるアートと建築の旅) [展覧会(西洋画)]
窓をテーマに、絵、写真、建築が展示されている。
チラシに使われているマティスの絵は、窓から明るいニースの海が見え、開放的な
気持ち良さがある。2人の女性の服がモノトーンで模様が巧みに配されていておしゃれ。
マティスの後半の絵には、印象に残る服がいくつもある。「ルーマニア模様のブラウス」、
「ラ・フランス」は赤に白と青の服、フィラデルフィア美術館展(2007年)で評判になった
「青いドレスの女」のためには、ドレスを作ってモデルに着せたほど。
と書いてあるので、期待できそう。
勉強になりそうだったけど、絵を見たい気持ちがはやり、すっと流して見たが、
絵の部屋の前、写真で気になったのがひとつ。
●郷津雅夫の「Window]という12枚の写真。ニューヨーク、ブルックリンの各地で撮影。
1970年とか90年、モノクロ写真。そのためもっと古い時代に見える。
気になったが、真相は外のパレードを見ているのだそう。
郷津はNY在住の写真家。
ロイド・ライト、アルド・ロッシ、ル・コルビュジエ、ルイス・カーンなどの作品が1点ずつ。
知らない建築家10名ほど。
しながら、ささっと描いた水彩画シリーズ。かわいい絵。パリの建物は今も変わらない雰囲気
のものがある。
ご主人の視線は、隣の扇情的な写真に釘付け。モノクロ写真。
●絵の部屋の最初は、キルヒナー「日の当たる庭」 1935年
窓から、庭を見ている。窓辺には、吸いかけのたばこ。
右:ハンス・リヒター「色のオーケストレーション」1923年
右:マティス「待つ」1921年
この2つの絵は、照明のせいで茶色っぽい写真になっている。
右:長谷川潔 「半開の窓」1956年 銅板画
北方ルネサンスの影響を受けた作品。上の額縁のような役割の赤の部分と
肩から下、着物の周囲に影を入れることで人物を浮き立たせる効果を出している。
ロスコの作品は、「窓」に見えるかも。
窓ともいえよう。アルバースはバウハウスの教育をアメリカで広めた。
閉ざされた世界で生きる人の表情をみごとに写していた。印象に残る写真が何枚もあった。
林田は戦前生まれで、幼少期を旧満州で過ごした。終戦の日、家族でレストランに
いたとき、ロシア兵がやってくるのが見えたという記憶を残すための作品。
中央にロシア兵2名、RESTAURANTという文字以外はロシア語なのだろうか。
他にハルピンのおもちゃ屋のウィンドウに戦闘機が並んでる作品とか、戦争関連のもの
が多かった。反戦のため、戦後何年もたったが制作を始めたそうだ。
か「好きな歌の一節」を歌うを入国審査官の前でしないと入国できないしくみ。
体験型のインスタレーション。
立体展示。プリズムのように自分が映る。
四角い窓がたくさんある家。これは一部分。実物の写真展示があった。
家の中に植栽がある、不思議なのだが落ち着く。
こういう展示は楽しめる。
作品をいろいろな美術館から借りてきているので、準備も大変だったと思う。
2月2日まで。金、土曜日は20時まで開館。
坂田一男 展 [展覧会(西洋画)]
「坂田一男」展。名前を始めて聞く人だけど、調べたら、パリでレジェに学び、
助手をしていたという経歴。コルビジェやイタリアのモランディ、夭折したド・スタール、
坂本繁二郎といった人たちの作品も見れるというので、がぜん興味が湧き、出かけた。
来てる人が全員ひとり。連れがいない。やはり現代ものは、ハプスブルグ展とか
ゴッホ展と違って好きな人が限られるからだろう。
「或る女 Ⅳ」(1926年、個人蔵)は、長い髪のはっきり顔立ちがわかる女性。
身体はキュビズム。茶系の色合いで、キュビズムなのに温かみがある。
比較のために展示されていたレジェ作品は、「緑の背景のコンポジション」
(愛知県美術館)1931年
これは、レジェの中でもキュビズムというよりコラージュっぽいしミロっぽい。
得意のモチーフである「機械」らしいものはある。実際は緑色がもっと鮮やか。
レジェに師事していた時代は1923年~で、「緑の背景のコンポジション」の
制作より前の時代だから、この作品が上のレジェ作品に似てるとはいえない。
1930年前のレジェは、キュビズムで、セザンヌの影響をうけ、すべてを円錐形で
表現しようとしていた。円錐形、まさにそれである。クレーっぽい淡い色合いは師とは異なる。
女の顔の円、肩の線の円、と円が多用され、可愛らしさがあった。
他の作品でも、手の指がフォークのように見えるものや、足の指が猫の肉球の
ようだったりと、立体を積み上げるキュビズムの中にかわいさがあった。
坂田一男(1889~1956)は、岡山県生まれ。
エコール・ド・パリの時代の1921年にパリに渡り、12年間滞在。
レジェの弟子だったこともあり、パリで画家として人気があったそうだが、
出品したサロンには入選できなかった。
要素を取り入れての模索。作品名に多いコンポジションは「構成」という意味で、
モンドリアンがこのタイトルで、いくつもの抽象表現を試みていた。
「端午」というタイトルの「鯉のぼり」の作品群や、「上巳」という紙製のひな人形など、
帰国後は、日本のものに対象が絞られていく。
一部屋に、花瓶にしては先頭が長すぎるこの形をモチーフにした作品がいくつも並ぶ。
説明によると、これは第一次世界大戦で多く使われた手榴弾。手榴弾は内部にある火薬が
爆発する。内部にあるものが外部とは異質の自立性を持っている。内部と外部という意識、
第一次大戦と第二次大戦の間の時期。手榴弾への恐怖と抵抗。戦争への抵抗。
コンポジションA 1948年 個人蔵
ある時期から後の「コンポジション」という作品群には、必ずのように中央に太い帯が
入る。背景と対象物、色を変えることで、進出、後退が決まり、平面的なものが立体的に
見えるという試みをしていたようだ。
ニコラ・ド・スタール「3つのりんご」1952年
モランディの「茶碗のある静物」1954年。
坂本繁二郎「植木鉢」1958年と、好きな絵が続けて並んでいた。
参考までにモランディの絵は、こんな。
製図用のコンパスが坂田の作品には時折、登場するそうだ。上の「コンポジションA」
の左端にあるにもコンパスだろう。コンパスは時にアンドロイドに見立てられたりする
そうだが、私には、後ろの茶色のネジが人間のように見える。
白い絵の具を上からかけてある。
横向きに機械のモティーフが並んでいる。
他に作品が展示されていて興味があったのは、
ジャスパー・ジョーンズの「国旗」
アメリカの旗になる前、モノクロで横に無数の線。
リチャード・ディーベンコーン「黄土色」1983年
黄土色の横長画面、右上に四角くあいた窓。そこから外の景色が見える。
明るい画風。ひとつの画面の中に複数の画面を置く試み。
しかし、彼はめげることなく、冠水作品に手を加え、新たな作品をつくった。
左:静物 Ⅰ 1934年 大原美術館 右:静物 Ⅱ 1934年 大原美術館
冠水で四隅が茶色くなり、という発想のもとに、新たに描かれた作品。
これが、この展覧会のチラシ。
しかし、このチラシを見て、展覧会に行く気になるだろうか。
なぜ、変容をさせたのか、水害にあったから、という説明がほしい。
会場を出るとき、初めてチラシを見て、そう思った。
1月26日(日)までです。チケットは1000円。
コートールド美術館展 [展覧会(西洋画)]
3月28日からは神戸市立博物館で見ることができる。
良い絵が勢ぞろいだった。このマネの絵は、鏡に映る酒場の女性の後ろ姿が実際あり得ない
位置であるとか、右隅の男性の視線は?など、長年にわたり、物議がかもされたが、
現在では、鏡に映る観客たちは、左上の緑の靴の足、すなわち空中ブランコ乗りを見ている、
右隅の男性も空中ブランコを見ていると、3Dカメラの視点操作で証明できたとのこと。
詳細に描かれているお酒の瓶もそれぞれ面白い。左端はマネと名前が入っているので、ボトル・
キープだろう。赤い▲は、有名なビール、ペールビールでしたっけ?
私が好きだった順に、いくつか紹介したいと思う。
汽車の煙が雲の方へと消えていく。広々とした景色。遠近法のため立体的に見える。
村の家も丁寧に描かれていて、かわいらしい絵。
横1mの大きめの絵。白い波、白い帆、白い瀟洒なドレスの女性。傍らに女の子。
舟を見ているのだろう。この前年に描かれた「鉄道」も身なりの良い女性と女の子。
当時は鉄道や船が急速に身近になった時代。対岸の緑の木々が手前の土手の緑と
対応して左から右へと広がる三角形構図が水の青さと広がりを示している。
正面、アルプスの山の麓にアヌシー城が見えるアヌシー湖。風光明媚なことで知られている。
いつか行ってみたい場所なので、写真で見慣れているが、セザンヌが描くと、こんなにも
男性的で力強い。山肌と水面に光がさし、美しい波紋となっている。
同名の絵が5枚あるが、絵の大きさ、カードをする人数が異なっていたりする。
(バーンズコレクションのはここ)
これは2人だけバージョンで、パリのオルセー美術館のと似た構図。
セザンヌは、この一連の作品のために、4~5年を費やし無数のスケッチを描いている。
セザンヌは、1890年代前半は「カードをする人びと」中心だったが、その前1870年代に
南フランスのエクス・アン・プロヴァンスに住み、「サン・ヴィクトワール山」を
水彩で40点、油絵で40点描いた。これは初期なので、写実に近いが、1904年、05年
の頃のは、形がはっきりしない。
オルセー美術館の「草上の昼食」の習作。大きなオルセーの絵よりも小さめ。
南フランス、セザンヌが住んだエクス・アン・プロヴァンスにも近い町、アンティーブ。
地中海に面していて日差しが明るい。モネの点描でキラキラのゆらめきが映し出される。
同名の絵が、愛媛県美術館にあり、国立新美術館での「モネ大回顧展」に出ていたが、
もっと暗かった。構図がほとんど同じなので、モネの得意技、時間を変えての定点観測
かと思う。
ゴーガンがタヒチに移住してからの絵。
背中の向こうにいる妻、左わきには赤ん坊。「これからどうやって生活するか」と
考えているかのような表情の主人公。
当時有名だった踊り子のジャンヌ。この小ささだと目立たないけれど、実物で見ると、
当時20代前半というのに若さが見えない描き方。花飾りのついた帽子と毛皮はすてき。
(10)モディリアーニ「裸婦」1916年頃
発表当時は警官が出動したという話が伝わっているほど、当時、刺激的だった絵。
身体と顔の部分の描き方を変えて描いているのが、実物を見るとよくわかる。
背景のブルーグレーはモディリアーニがよく使っていた背景色。
コートールド氏お気に入りの作品。これと、チラシに使われているマネの絵が
購入価格が高かったそうだ。
黒と白の縦じまは当時流行の服。
(12)ドガ「舞台の上の2人の踊り子」1874年
シンプルな構成。前に余白があるので踊り子がこちらに歩み寄ってくる気配を感じさせる。
どれも素晴らしい絵ばかりだった。小さい絵だが、スーラも良かった。
アンリ・ルソーの絵は「税関」。ルソーは長く税関に勤めていたので、税関吏ルソーと
呼ばれていたが、税関の門の前に男がぽつんと一人立つ絵だった。
松方コレクション展 [展覧会(西洋画)]
6月11日からと会期が長かった「松方コレクション展」だが、もう明日で終了。
8月に行った時、同時に見れる「フィンランドの女性作家たち」展を見損ねたので、
先週、行ってみたら、チケット売り場が長い列。明日も並ぶかもしれませんね。
これが、チラシにも使われているモネの「睡蓮」。普段、常設会場で見れる作品。
別バージョンのチラシに使われているのは、ゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館蔵)
松方幸次郎(1866~1950)は、総理大臣を務めた松方正義の息子で、エール大学で
法学修士号を修め帰国した。帰国後、父の親友の川崎氏に見込まれ、川崎造船所の
社長に就任した。第一次世界大戦の船舶の需要で会社は業績を急速に拡大し、松方は
ロンドンへ貨物船の売り込みに行き、ロンドンの画廊で絵画を購入し、イギリス人の
画家ブラングィンと知り合い、コレクションが始まった。ロンドンやパリで積極的に
美術品を買った松方の願いは、日本人のために美術館を作ることだった。
ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち」(西洋美)
ゴーガン「扇のある静物」(オルセー美術館)
松方の美術館構想をブラングィンが設計図にしていた。(西洋美)
回廊形式で真ん中に噴水があるもので、土地を麻布に買ってあったそうだ。
ヨーロッパに度々行っていた松方は、近代化が遅れている日本人に、西洋の暮らしを
絵を通して見せようとした。
初期の頃、ロンドンで、松方が購入したのは、当時、人気があったラファエル前派の
エヴァリット・ミレー「あひるの子」(西洋美)
松方は、造船業に携わり、海の絵を得意とするブラングィンと親しかったことから、
海の絵を多く買った。
興味深かったのは、ウジェーヌ゠ルイ・ジロー「裕仁殿下のル・アーヴル港到着」
1921年、昭和天皇が皇太子の時代。大型蒸気船から海岸へ綱に貼られたいくつもの
小旗が渡され、大勢の人が海岸で出迎えている絵。
(1921年、昭和天皇が皇太子時代、6か月間、ヨーロッパを訪問した。日本の皇族のヨーロッパ訪問は初めてで、
当時、大ニュースだった)
ピサロ「ルーアンの波止場」
マネ「嵐の海」(ベルン美術館)
しかし、金融恐慌のあおりで、造船所は経営破綻となり、日本に到着したコレクションは
売られ*、ロンドンに残された一部は火災で焼失、パリにあったものはフランス政府に没収された。
(*一部は現在、大原美術館、ブリヂストン美術館が所蔵)
マネ「自画像」(ブリヂストン美術館)
ドガ「マネとマネ夫人像」(北九州市立美術館)
マネが描かれた夫人の顔を気に入らないと、キャンバスを切断した作品。
(ハンセンコレクションから購入し、日本に送ったが、後に売却)
戦後、サンフランシスコ講和条約で、フランスにあるコレクションの返還が、
美術館を作るという条件付きで決まったが、フランス政府は、「アルルの寝室」
「扇のある静物」は重要美術品ということで返還に応じなかった。今回、
その2点が展示されている。
マティス「長椅子に座る女」(バーゼル美術館)
これは、第二次世界大戦中、コレクションの管理費捻出のために、松方の許可を得て
管理を任されていた日置氏が売却したもの。フォービズムになる前のマティス作品。
ロダン美術館の開館にあたっては、多額の寄付をし、鋳造権を得た。
美術館の庭、地下ホールに、さまざまなロダンの彫刻があるのは、そのためである。
私が好きだった絵は、
セガンティーニ「花野に眠る少女」
いつも常設で見ている「羊の毛刈り」もいいけれど、これは清々しくていい。
美しい緑、風がさらっと吹き、気持ちよさそう。
ムンク「雪の中の労働者」
早くもムンクに目をつけていた松方氏の先見性に感心した。
画像がないが、
ドービニーの「ヴィレールヴィルの海岸 日没」は、太陽が印象に残る横長の絵。
(三井住友銀行)
展覧会の最後は
2016年にパリで発見されたモネの「睡蓮、柳の反映」
破損が激しく、何の絵かわからないほどだが、全体の大きさはオランジュリー
美術館にある連作「睡蓮 柳」と同じ。
ディジタル復元した大きな映像が写しだされていた。
質の高い作品ばかりのコレクションですばらしかった。散逸したものものが
集められ展示されていると、焼失したものが惜しまれる。
ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道) [展覧会(西洋画)]
かなりの時間が経ち、忘れていることだらけ。だからこそ、書いておかなくては、と、
*ミニ図録*を見ながら思い出し中。
(今回、通常の図録の他に、ミニ図録13.5×15×2㎝、1000円が販売されていた。かさばらず便利)
ウィーン・モダンのタイトル通り、1740年代から世紀末1900年代までの
ウィーン美術の変遷をたどる展覧会である。
最初の展示は、大きなマリア・テレジアの肖像画、上に息子の幼いヨーゼフ2世の像が
ついている。ここから始まる時代である、という暗示。
ヨーゼフ2世の時代は、啓蒙主義を取り入れた近代化の時代だった。
農奴制を廃止、病院を建設、王室の庭園だったプラター広場を市民に開放した。
そして、カソリック以外の宗教を容認したので、フリーメイソンは全盛期を迎えた。
「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵の右端には、モーツァルトと
「魔笛」の台本を書いたシカネーダーが描きこまれていた。
「ウィーン会議の各国出席者たち」という会議室に全員集合の絵もあった。
ブルジョワたちの邸宅では、くつろぎの空間が誕生し、椅子も今までの権威的なもの
から、家具として軽い動かせるものになった。
左はベッヒェのティーセット。エンボス加工された銀。右はホフマンデザインのバスケット
当時人気の音楽家シューベルトの肖像画があり、
「ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会」という絵もあった。
美しく着飾った大勢の人たちがシャンデリアの輝く部屋で、ピアノの前にすわる
シューベルトを囲む絵。
田舎の風景では、ヴァルトミュラーの作品が多かったが、「バラの季節」
が光あふれる絵で、山間の畑ののどかさ、楽しそうな若い2人、いいなと思った。
都会、ウィーンのシュテファン教会、リング通り、国会議事堂などを描いたのは、
ルドルフ・フォン・アルトだった。
当時の人気画家ハンス・マカルトは、皇帝夫妻の銀婚式を祝うパレードの演出を
任されたので、横3mの大きなデッサン画が2枚展示されていた。ネオ・バロックの
画風だが、見ていると、ウィーンの栄華が伝わってくる。
マカルト作の肖像画も何枚もあった。
「メッサリナの役に扮する女優シャルロット・ヴォルター」
社交場だった「マカルトのアトリエ」を描いた他の画家の絵もあった。
クリムトは「旧ブルグ劇場の観客席」という絵に100人以上の人間を写真かと思える
ほど細かい線でていねいに描きこみ、皇帝から高く評価され、「皇帝賞」をもらった。
ウィーンでは万博が開かれ、日本は庭園を造営した。万博の記念品(グッズ)や
会場の絵柄の傘のお土産品が展示されていた。
ヨハン・シュトラウスの胸像があり、ワルツを踊る「宮廷舞踏会」の絵があった。
時はすすみ世紀末へ。
オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを
いくつも提案し、絵画の分野では、クリムトに率いられた若い画家たちが
「ウィーン分離派」を結成した。
オットー・ヴァーグナーの「カール・エルガー市長の椅子」
市長の60才の誕生日を記念して,オットー・ヴァーグナーがデザインした。
ローズウッドに真珠母貝を加工したものをリベットのように象嵌細工。
実際、キラキラ輝いていた。座り心地は?
実現には至らなかったものが多い。当時の新素材、アルミや鉄、ガラスを使った
機能的な「郵便貯金局メインホール」は写真展示だが、この建物は実現し、今も
使われている。
ここで、ようやくクリムト作品が登場。
初期の作品「寓話」などは古典的な画風だが、1895年の「愛」から作風が変わる。
日本美術の影響といわれているが、画面両端に金箔を施し、表装のようにしている。
主題の「愛」のカップルは朦朧と描かれた人々の視線の先、白いドレスの女性が
浮き立つ。
「パラスアテナ」1898年
この絵を始めてみた人は、ドキッとするだろう。次にこの人は誰?
「パラスアテナ」はラテン語で、アテナ神。黄金の兜、手に金の棒を持ち、
金のうろこ模様の胸当て。胸当ての上には、人の顔?(ゴルゴン)がつき、
すざましい目力でこちらをみつめている。恐ろしさを覚えるのだが、このアテナ神は
男を惑わすファム・ファタルだそう。
ウィーン分離派の画家たちというコーナーでは、目黒美術館で見たカール・モルや
コロマン・モーザーの絵があった。
次は、ポスターのコーナーで、お馴染みのクリムトのウィーン分離派のポスターもあった。
ココシュカの「夢見る少年たち」という自作の詩入りの木版画のリトグラフ8枚連作は、
以前、三越のウィーン展で見たと思う。
ベルトルト・レフラー「キャバレー・フレーダーマウスのちらし」
ブローチの縁の象嵌は、オットー・ヴァーグナーの椅子にも通じるものがある。
分離派のクルツヴァイル「黄色いドレスの女性」
クリムトは28才年下のシーレの才能を高く評価していたが、シーレは若くして亡くなった。
シーレの絵は、クリムトとは違う画風。
自画像。 細い指先と視線に独特のものがある。
シーレの支援者で美術批評家レスラーの肖像画もあったが、やはり細い指先と視線が
めだっていた。その妻を描いた「イーダ・レスラーの肖像」は美しいが、冷たい視線が
気になった。
ゴッホに刺激されて描いた細長い絵「ひまわり」もあった。
最後に近い部屋には、クリムトが描いた恋人エミーリエ・フレーゲの等身大ほどの
細長い絵があり、撮影可能だった。ドレスはクリムトのデザイン。
それを使ったコンサートが丁度、終わったところだった。
黒を背景に輝く抑えた金色、ここでもクリムトが時代の寵児だったことがわかる。
深まりますよ。