静岡県立美術館のロダン館 [日本の美術館]
三沢厚彦の動物の木彫の記事を書いていて思い出したのが、彫刻作品が充実してる
静岡県立美術館のこと。桜の季節に行ったので、ずいぶん時間が経っているが、
小高い丘の上にあり、木々に囲まれ、広々とした場所。入口から建物への道には、
彫刻の野外展示が点在し、これは、大西清澄の「なみの塔」1980年 ステンレス製
静岡県立美術館のこと。桜の季節に行ったので、ずいぶん時間が経っているが、
小高い丘の上にあり、木々に囲まれ、広々とした場所。入口から建物への道には、
彫刻の野外展示が点在し、これは、大西清澄の「なみの塔」1980年 ステンレス製
ここに来たのは2回目。
初めて来たときは、美術館目的でなく、何かの帰りに、こんな所に美術館が、
と立ち寄り、彫刻作品の充実ぶりに驚いたのだった。ロダンが30点ほど。
こんなにたくさんロダン作品があるのは、なぜ?とも思ったけど、時間が
なかったので、さくっと見て、「いつかもう一度」と思っていた。
静岡県立美術館、もちろん、絵画作品もあるし、企画展も時々開催しているが、
広く大きな「ロダン館」があるのが特徴。吹き抜け天井は楕円形のガラス張りで、
窓からも自然光がさしこむ。有名な「地獄の門」「考える人」がある。
「考える人」が奥に見える。手前右は、「バスティアン・ルパージュ」1887年。
ロダンは、画家ルパージュと仲が良かったのだが、ルパージュは36才で亡くなった。
40代だったロダンは、ルパージュへのオマージュとしてこの作品を制作した。
実在の人物が亡くなっている場合、モデルがないので、彫刻は制作しにくいが、
親しかったので、思い出しながら制作したのだろう。野外で描くことが多かった
ルパージュなので、マントを着て、パレットを持った姿になっている。
左は、クロード・ロラン 1889年。
クロード・ロランは17世紀の風景画家。出身地ナンシー市からの依頼で制作。
200年も前に亡くなり、姿を見たことがない人物の肖像は難しかったらしい。
ロランが日の出、日没など光を背景にした風景をよく描いていたので、光の方向、
一点を見つめるポーズに決めたそうだ。
初めて来たときは、美術館目的でなく、何かの帰りに、こんな所に美術館が、
と立ち寄り、彫刻作品の充実ぶりに驚いたのだった。ロダンが30点ほど。
こんなにたくさんロダン作品があるのは、なぜ?とも思ったけど、時間が
なかったので、さくっと見て、「いつかもう一度」と思っていた。
静岡県立美術館、もちろん、絵画作品もあるし、企画展も時々開催しているが、
広く大きな「ロダン館」があるのが特徴。吹き抜け天井は楕円形のガラス張りで、
窓からも自然光がさしこむ。有名な「地獄の門」「考える人」がある。
「考える人」が奥に見える。手前右は、「バスティアン・ルパージュ」1887年。
ロダンは、画家ルパージュと仲が良かったのだが、ルパージュは36才で亡くなった。
40代だったロダンは、ルパージュへのオマージュとしてこの作品を制作した。
実在の人物が亡くなっている場合、モデルがないので、彫刻は制作しにくいが、
親しかったので、思い出しながら制作したのだろう。野外で描くことが多かった
ルパージュなので、マントを着て、パレットを持った姿になっている。
左は、クロード・ロラン 1889年。
クロード・ロランは17世紀の風景画家。出身地ナンシー市からの依頼で制作。
200年も前に亡くなり、姿を見たことがない人物の肖像は難しかったらしい。
ロランが日の出、日没など光を背景にした風景をよく描いていたので、光の方向、
一点を見つめるポーズに決めたそうだ。
ロダン(1840~1917) 14歳で工芸学校に入学したが、美術学校を出ていない。
24才から売れっ子の彫刻家Carrier Belleuseの下で助手として働き、ベルギーで
建築装飾の彫刻制作に加わり腕を磨いた。当時の流行、ロココの美しい雰囲気をもつ作品
「バラの髪飾りの少女」1870~1875年頃、テラコッタ。
24才から売れっ子の彫刻家Carrier Belleuseの下で助手として働き、ベルギーで
建築装飾の彫刻制作に加わり腕を磨いた。当時の流行、ロココの美しい雰囲気をもつ作品
「バラの髪飾りの少女」1870~1875年頃、テラコッタ。
ロダンは古典彫刻を見るためにイタリアへ行き、ミケランジェロの作品に
感銘を受ける。帰国後、サロンに出品。「青銅時代」が3位となるが、あまりにも
実際の人間に似ていたので、物議をかもした。その後、国家から「地獄の門」の
制作依頼を受け、彫刻家として成功した。
ロダンが素晴らしいのは、古来からの伝統彫刻を継承しながら、同時代の
象徴主義、表現主義的なものを取り入れた点である。たとえば、胴体部分だけの
トルソはロダンが創始者であり、ロダンと交流した者たちが、ロダンから受け継いだ
ものをもとに20世紀の彫刻表現を作り出した。
ロダンの助手だったブールデルの構築性、カミーユ・クローデルの風俗性、
ブランクーシの抽象性は、作風は異なるがロダンのコンセプトである、
ブールデルの構築性「アポロンの首」1909年 ブロンズ
ブランクーシの抽象性「ポガーニ嬢Ⅱ」1925年 磨きブロンズ
カミーユ・クローデルの風俗性「波」(複製)1897~1903年 ブロンズ
マイヨールのトルソ「イル・ド・フランス」1921年 ブロンズ
他に直接ロダンの薫陶を受けたわけではないが、20世紀を代表する彫刻家の作品
がいくつもあった。
がいくつもあった。
レ―ムブルック「女のトルソ」1911年
ジャコメッティ「横たわる女」1929年
ヘンリ・ムーア「横たわる人体」 1977年
ジャック・リプシッツ「母と子」1913年
バルラハ「読書する僧たちⅢ」1932年
ロダンとほぼ同時代人だが、独自の活躍をしたゴーギャン
「オヴィリ」(タヒチ語)1894~95年頃
「オヴィリ」(タヒチ語)1894~95年頃
最後に、ロダンの助手をつとめたブールデルによる「ロダンの肖像」1909年
69歳のロダンの気性、精神性を表しながらも、幾何学的に構築をしている。
69歳のロダンの気性、精神性を表しながらも、幾何学的に構築をしている。
静岡県立美術館の彫刻作品、充実してますね。山梨県立美術館も広大な敷地庭園に屋外展示でかなりのコレクションを持ってるけど、お隣さん同士で張り合ってるのかしらん?(笑)。ロラン像はその山梨県立の庭にも在ったので知っていたのですが、ルパージュ像は未だ実物を見たことがありません。ルパージュってあんまり日本では人気が無い画家みたいだけど、僕がソネブロを始めた頃の2005年に開催されたスコットランド美術館展で見た『お手上げだ』って艀の少年の絵、好きだったなぁ。忘れがたく深く印象に残ってます。
僕の住んでる神奈川も静岡とはお隣さんなわけだけど、改めて思うとロダンやそのお弟子さん系統の作品が何故だか少ないんですよねぇ、葉山はもっと現代作家ばかりのコレクションだし、横浜美術館では小さめの『バルザックの頭部』(※サカタのタネ創業者・坂田コレクションからの寄贈)しか観たことないし。カミーユの『波』なんて、そもそもが北斎の『神奈川沖浪裏』の影響受けてるんだから、こう云う作品こそ横浜美術館に在ったらいいのになぁ・・・なんて、ドビュッシーではなくジョビンの『波』をBGMに聴きつつt朝っぱらから長々としたコメント書いてみました(^^;。
by yk2 (2023-11-16 07:49)
yk2さん、私も、なぜ静岡美術館がロダン館を作るほどロダンの作品を持っているのか不思議なままです。しかも絵画のほうは、静岡ゆかりの作家中心で、作品数も多くないのです。
いま、yk2さんの山梨県立美術館記事を再読。クロード・ロランもバスティアン・ルパージュも鮮明な写真ですね。特にロラン像がいいなぁ。私はフィラデルフィアでロダン美術館に行ったので、その時、ルパージュ像を見て、ロダンが制作してるのに驚きました。ルパージュの「お手上げだ」をオルセーの企画展で見て以来、気になる作家だったからです。
そういえば、横浜美術館は20世紀の彫刻をロビーに陳列し、人目をひいているけれど、19世紀以前のものは見かけないですね。そういえば、ここのカミーユの波は、北斎の有名な「神奈川沖裏波」ですものね。
by TaekoLovesParis (2023-11-24 00:58)
いっぷくさん、お久しぶりです。ナイスをくださったので、お元気なんだなとわかりました。余裕ができたら、記事を再開してくださいね。
by TaekoLovesParis (2023-11-24 00:59)