ロダン美術館・パリ [☆彡Paris 美術館]
ロダン美術館は、パリの中心部に近い所、オルセー美術館へ1.5㎞の場所にある。
ここは晩年のロダンが亡くなるまでの10年間、暮らし、アトリエとして使った。
建物は、元王族のもので、フランス政府が買い取ることとなったときに、この館を
気に入っていたロダンが、死後、自分の作品やコレクションを国家に寄付するので、
美術館として残して欲しいと提案し、受け入れられた。王族の屋敷だったため広く
立派なフランス式庭園があり、散歩に最適である。
ここは晩年のロダンが亡くなるまでの10年間、暮らし、アトリエとして使った。
建物は、元王族のもので、フランス政府が買い取ることとなったときに、この館を
気に入っていたロダンが、死後、自分の作品やコレクションを国家に寄付するので、
美術館として残して欲しいと提案し、受け入れられた。王族の屋敷だったため広く
立派なフランス式庭園があり、散歩に最適である。
「考える人」は庭の一角にあるり、背後に金色のドームのアンバリッドが見える。
玄関を入るとロビーがあり、そこがチケット売り場。二階へ続く螺旋階段が美しい。
クリスマスだったので、大きなツリーがあった。
クリスマスだったので、大きなツリーがあった。
アトリエだったので、机の上や棚には、石膏の小さな試作品がいろいろ並んでいた。
これは、バルザック像のための小さい試作品。着衣のものと裸のもの。
左は、画家シャヴァンヌ、右は作曲家マーラー。
タイトルを読んで、シャヴァンヌは威厳があるわね、とか、マーラーは、
こういう顔ね、と眺めた。顔に内面がにじみ出ると言う言葉が浮かんだ。
ロダンの代表作、フランス政府から注文を受けた大作「地獄の門」のために、
さまざまな装飾が考え出され、「考える人」、「接吻」、「フギット・アモール」
などが制作された。
「接吻」1900年 ブロンズ、砂型鋳造
よく知られている右の写真が正面なのだが、ガラスケースで光るのと映り込みとで、
まともに撮れないため、男の人の顔を正面に撮ってみた。女の人にはこう見えるはず。
これは、バルザック像のための小さい試作品。着衣のものと裸のもの。
左は、画家シャヴァンヌ、右は作曲家マーラー。
タイトルを読んで、シャヴァンヌは威厳があるわね、とか、マーラーは、
こういう顔ね、と眺めた。顔に内面がにじみ出ると言う言葉が浮かんだ。
ロダンの代表作、フランス政府から注文を受けた大作「地獄の門」のために、
さまざまな装飾が考え出され、「考える人」、「接吻」、「フギット・アモール」
などが制作された。
「接吻」1900年 ブロンズ、砂型鋳造
よく知られている右の写真が正面なのだが、ガラスケースで光るのと映り込みとで、
まともに撮れないため、男の人の顔を正面に撮ってみた。女の人にはこう見えるはず。
「フギット・アモール」(去りゆく愛)
離すまいと仰向けで女にすがる男(左)と、両手で頭を抱える女の姿。
「フギット・アモール」と「接吻」は、ダンテ『神曲』の登場人物「パオロとフランチェスカ」
をもとに生み出された。夫の弟である美青年パオロと道ならぬ恋に落ちたフランチェスカ。
「自分から離れようとする女を引き留める男」と運命に苦悩しつつ離れられない女。
何かを訴えかけるかのような男の表情と、口を引き結んだ女の表情が近くによるとわかる。
前から見た女の表情。
離すまいと仰向けで女にすがる男(左)と、両手で頭を抱える女の姿。
「フギット・アモール」と「接吻」は、ダンテ『神曲』の登場人物「パオロとフランチェスカ」
をもとに生み出された。夫の弟である美青年パオロと道ならぬ恋に落ちたフランチェスカ。
「自分から離れようとする女を引き留める男」と運命に苦悩しつつ離れられない女。
何かを訴えかけるかのような男の表情と、口を引き結んだ女の表情が近くによるとわかる。
前から見た女の表情。
1階には、ロダンの遺言で、弟子であり愛人でもあったカミーユ・クローデルのための
部屋がある。
カミーユ・クローデル「分別盛り」。
こちらは、老いた女性に(左端、マントをひるがえしてる)につかまれ、
去っていく男にすがる若い女。老いた女性はロダンの妻で男はロダン、若い女性はカミーユ。
切ない場面。オルセー美術館にも同じ作品がある。
カミーユ・クローデルの「波」
北斎の「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏からの影響といわれている。
波の大きさに対し、女性たちの小さいこと。飲み込まれるかと心配になる。
波は天然石オニキス、石の模様が波の表情のようで実に美しい!
女性ならではの繊細な作品。
部屋がある。
カミーユ・クローデル「分別盛り」。
こちらは、老いた女性に(左端、マントをひるがえしてる)につかまれ、
去っていく男にすがる若い女。老いた女性はロダンの妻で男はロダン、若い女性はカミーユ。
切ない場面。オルセー美術館にも同じ作品がある。
カミーユ・クローデルの「波」
北斎の「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏からの影響といわれている。
波の大きさに対し、女性たちの小さいこと。飲み込まれるかと心配になる。
波は天然石オニキス、石の模様が波の表情のようで実に美しい!
女性ならではの繊細な作品。
2階には、ロダンが描いた絵と共に、買い集めたコレクションの絵が展示されている。
ロダン自身の作品は、風景画が多かったが、印象的だったのはキリスト磔刑図。
ムンクが描いた「考える人」。場所はLubeck, DocteurLindek 公園
ロダン自身の作品は、風景画が多かったが、印象的だったのはキリスト磔刑図。
ムンクが描いた「考える人」。場所はLubeck, DocteurLindek 公園
モネ「ベリール Belle ile」 1886年
ベリールは、美しい島の意味でブルターニュ半島にある。
東京のアーティゾン美術館には、これに似ている「雨のベリール」という作品がある。
ベリールは、美しい島の意味でブルターニュ半島にある。
東京のアーティゾン美術館には、これに似ている「雨のベリール」という作品がある。
ゴッホ「収穫者 Les Moissoneurs」1888年
ゴッホが最後の3年間を過ごしたアルル地方。小麦畑が光を浴びて黄金の畑となり、
収穫作業をする人が見える。向こうにはアルルの町。右に列車が煙をはきながら、
走り、左からは工場の煙突の煙がたなびく。
ゴッホが最後の3年間を過ごしたアルル地方。小麦畑が光を浴びて黄金の畑となり、
収穫作業をする人が見える。向こうにはアルルの町。右に列車が煙をはきながら、
走り、左からは工場の煙突の煙がたなびく。
ゴッホ「タンギー爺さん」1887年
タンギー爺さんは、パリで画材屋兼画商を営んでいた。
日本の浮世絵が好きだったゴッホは、背景に浮世絵を描いたが、
タンギー爺さんの店で浮世絵を売っていたわけではない。
タンギー爺さんは、パリで画材屋兼画商を営んでいた。
日本の浮世絵が好きだったゴッホは、背景に浮世絵を描いたが、
タンギー爺さんの店で浮世絵を売っていたわけではない。
この時、行われていた「アントニー・ゴームリー展」については、次回の記事にします。
パリのロダン美術館には、日本の美術品があるのでしょうか?
by サンフランシスコ人 (2024-02-03 07:21)
サンフランシスコ人さん、私が見た範囲にはなかったです。
by TaekoLovesParis (2024-02-06 16:10)